SENSUALISM

頭の中

2022


実家に帰る途中の電車が
果てしない程暇だから今ブログを書いてる

2021年の12月31日のこの時間も
帰省中の車内で全く同じ事をしていたなって
思い出した  最早ルーティンになりつつある



2022年は夢みたいな1年だった


作家の浅野いにお作品の名言のひとつに
「夢なんて手に入れたら、ただの現実だった」
って言葉があって

学生時代に浅野いにおを崇拝してひねくれてた自分は
結局そんなもんなんだなって自己陶酔してた


でも


ずっと渇望してた夢のスタートラインに
立てた今年、その現実は今でも夢みたいで


ふとした時に、
朝起きたらこの現実はやっぱり嘘で
何の変哲もない日常が待ってるんじゃないか とか

目を開けたら、今見えてる景色は全部虚構で
実はまだ学生時代の教室にいるんじゃないかとか

そんな馬鹿みたいなことを考えるくらい
自分にとっては夢のようなことで


そんな今日、
夢を目指し始めた2018年から2022年の1月までの
自分の生活と、日々の葛藤と、
いつだって邪魔をしてくる自尊心と

今未来が見えなくてもきっといつかは
どうにかなるという一縷の希望に頼って
1日1日を繋ぎ止めていたあの日々のことを思い出した

幸せは恒久的な物ではなく
瞬間的なものなんだって痛い程感じたあの頃

 一生を幸せでいれる人なんているのかな

 自分の過去のブログのアーカイブがそれを物語ってる

その日寝る度に何か進んだ実感を
手に入れられなければ言い表せない不安が襲って

手に入れられたかと思えば
理不尽な状況に
長い時間を掛けて積み上げたものを一晩で
崩されることも何回もあって

そのうち、自分がどこに向かって
進んでいるかが分からなくなった

朝からワンルームの天井見つめて
昼過ぎに家の近くの川沿いを意味もなく散歩して

文字通り本当にどこに向かって進んでたんだろう

ただ頭の先からつま先まで
自分の理想とする自分に染まりたかった

いくら悩んでも いくらカッコつけても
自分のセンスを過信しても無という結果が
付き纏う日々に嫌気が差して

明る過ぎる未来が予想出来る生活も
それはそれでつまらないなと思っていた

簡単に手に入る現実には縋りたくなかった

それが自分に言い聞かせられる唯一の自衛だったな





でも今年の2月、何も無かった道が一気に開けた



乾いた人生に生きる希望が出来たなんて言ったら
人は大袈裟だと笑う人もいるかもしれないけれど

ずっと欲しかったチャンスを手に入れた瞬間、

今までの良いこととか悪いこととか、

自分はこんなに凄いんだ   とか

なんか、そういうんじゃなくて
後悔のなく生きていこうと思った。

勝ちとか負けとか優とか劣じゃなくて
本当に大切な事って
自分に納得出来るかどうかなんだなと思ったよ

そしてそんな11月5日のデビュー日に
初めて人前で喋れなくなってしまった

ずっとずっと叶えたかったことで、
何かを成す度に
一生スタートラインに立ってる自分だけど

初めて本当の意味でスタートラインに立てた気がした


自分の夢の為なら、
どれだけ不可能で、たとえそれが
無意味なことであったとしても
自分のエゴは通して絶対に叶えたい


自分がこの先、
いったいどこに向かってるのか
分からなくなる時があるかもしれない。

でも、たとえそれがどんなに困難な道で 
未曾有の果てのまで続いていても
皆がいるなら自分はどこまでも進める気がするよ。

世の中はいつだって理不尽で平等ではないけれど、
少なくとも朝だけは平等に人に訪れる

そんな生活の中で、自分が存在する事で、
F1RST SENSEという場所がある事で
救われる人が1人でもいるとしたら
それだけで意義のあることなんだと思う。

ずっと応援してくれてありがとう。
2022年、自分と出会ってくれてありがとう。

毎年、年が移り変わるだけなのに
所信表明したくなるのは人間の性だね。


やりたいこと全部叶える2023年にするよ