モラトリアム人間
身分不相応だった夢がいつの間にか
ゆっくりと馴染んできて現実味を帯びる
その感覚が停滞するのを感じる
目まぐるしい日々に突如落とされる休日には
普段とは果てしない程の温度差があって
自分が活動者であることに疑問を持ってしまう
真夏の白昼部屋にいると
社会から取り残された感覚に陥る
何も生まない夏は
無限に続くやるせなさと
何かから取り残された虚しさが募る
暇とは一種の幸福でもあり毒でもある
思考を巡らせる時間は良くも悪くも気を滅ずる
幸せの質量が限界に達してしまったら
それ以上の幸福はどこに行くのだろうか
その先の幸せを感じられなくなってしまったら
人間は生きることに価値を見い出せなくなる気がする
もうすぐ本格的な夏が始まる
人はいつも不意に真夏に
投げ出されて 日陰を頼りに生きてる
自分は高校を卒業するまでの18年間、
田舎でしか夏を過ごしたことがなかった
駅のない町
無限に続く田んぼ道
道路に轢かれた蛙
垢抜けない田舎のギャルが居座るマクドナルド
郊外に無数にある変哲もない道路
何の代わり映えも無い
田舎の高校生活みたいな道が永遠に続く
微々たる青春と
退屈なのにキラキラしていた日々が
日常生活で不意に香る
塩素消毒した水の匂いでフラッシュバックする
過去とはいつだって美化されるものであり
無意識に色付けされてくものである
当時がどんなに退屈だったとしても
数年たった今、そこには手を伸ばしても
もう捉えられない程の価値がある
懐かしいという感情は時に苦しくなる
あの夏に染み付いた習慣や思想が
数年経っても異様なほど自分の枷になる
息詰まりの今の現状も
どうせ数年も経てば必須の期間だったと
未来の自分は絶対に言うんだろうなと思う
人と人との気持ちが完全に一致して
わかりあえるタイミングなんて
いくらでも逃すし、
そもそもそのタイミングなんて分からない
そんな日常のバグが良くも悪くも
多種多様の思い出を生み出す
確然たるものなんて世の中になにもないのに
人は常に確然たるなにか を求めている
ずっと終わらない人間関係 だったり
ずっと好きでいること だったり
そんなもの絶対にないのにね
約束とはいつも呪いである
一緒に暮らすことと一緒に生きることは
必ずしも同じでは無い
青春の甘さも残酷さも
大人になってから何かをきっかけに
不意に感じるあの瞬間のエモさを
反芻する為にあるのかなと思う
2016年 初めて東京で過ごした夏
虚ろな目の人がごった返した土曜の蒸し暑い渋谷
借金と人間関係で腐っていった人間や
死んだ目のコンカフェ嬢が
のさばっている気怠い夕方の新宿
蛙と蝉の夏の風物詩としての音
眩し過ぎる概念としてのきらきらした夏に殺られて
片隅で絶って逝った人間もきっと沢山いる
学生時代におちゃらけていたクラスメイトも
正しい死に方から逸れていく
夏は簡単に人を狂わす 別に死に正解はないか
傍目からは幸せそうに見えているものも
本人にとっては1番辛いことが何かは分からない
人はたった数年で
きらきらした青春や思い出を
反芻する立場に陥る
人生とは危うげだけどぎりぎりの
均衡を保っているような感覚の連続だと思ってる
実体のない妄想を幾重にも綺麗に積み上げた後に
訪れるのは現実に相応した現実しかない
自己啓発本読んだら自分の人生
劇的に変化するんじゃないかなとか
このまま学校サボって海行ったら
なにか変わるんじゃないかとか
考えてる時間だけはいつだって楽しい
博打に勝ったら理想を超えた現実も待ってるけどね
でもその味を知って、吸い尽くした蜜を
更に吸い続ける人間にはなりたくない
2023年の今 かつて目指したのレールの上にいる
夢を叶えた次の日には
その夢は既に過去のものになってしまうんだな
と思う経験がよくある 人間は傲慢な生き物だな
解散後や死後に価値の上がる人間になりたくない
いつだって見て欲しいのは今の自分で
今の自分は当たり前だけど今しかいなくて
自分の中にある、人から嘲笑われる要素や
言動すらも 自分が大切にしてる人には
全て愛して欲しい
見えてる部分だけを愛されても
それは真実ではないと思う
今年の夏はどんな思い出が待ってるかな
博打に勝ちまくって大勝ちしたいなと思ってる
思ってる以上に芸能人生に時間はない
直近で海辺の街の夏を感じたい
これは去年鎌倉高校駅前に行った時に撮った写真
この日は一日全てが良い思い出だった
今年の夏もこんな日を過ごせますように