SENSUALISM

頭の中

色々と無月


昨晩から東京はずっと雨が降ってる

雨の日は朝から気分が心地よくて

あまり自分が外に出るタイプではないから

世間が退屈を持て余してる瞬間を
共有出来て競争社会がストップしてる感じが
好きなんだってことが分かった。
あくまでそう感じるだけなんだけど。

これは最近の発見。


最近、考える事が以前にも増したと思う


どうにかなるで過ごしている今日迄の日常


気付いたら遠くまで来てしまい、
もう戻れる場所も見えなくなってる


戻るつもりなんて毛頭もないけれど



人には体という資本があって
そこには魂が宿る 

例え、時に自分が見えなくなっても
存在を確かめる事が出来なくなっても

独自の思想と救いの対象があれば、
痛みと喜びを分かち合える実感があれば、
生に対して全うできる  きっと自己を保てる

世界には結局それしかないと感じる。


出逢いも別れも予め決まった期間と
その時々の個人間での瞬間の感情の
切り取りで成り立っていると考えている


瞬間の喜びは美しい様で残酷だと思う


万物が表裏一体のこの世の中で


そこに幸福が存在する一方
その他には絶望的状況も存在する

永遠が無い以上、
いつか消える思い出を反芻するのは
とても辛いことなのではないかと最近考える

温さが蔓延するこの世界で
本気よりも狂気に、 狂気よりも死ぬ気に
なった人間から勝ち抜けしていく
階級社会を脱出する唯一の手掛かり

これはどんな場でも共通のことだと思う

今の状況に満足してなかったら
もっと死ぬ気になるべきところを

でもそこまでして掴み取りたいものなのか
と聞かれると方法なんて微塵も分からず

無我夢中に分からないを繰り返して
思考していくことが所謂"狂気"の線引きで

まずはその領域に触れることを
意識の外で達成している実感がある

これらは怠惰と野望とポテンシャルが
共存している人間にこそ可能な
芸当なのではないかと思う

正解の決まった機械的道筋と
なるべくしてなったカリスマ的道筋

割合は9/1 くらいだろうけど

マジョリティがつまらないのなんて
この世の常で、この結果が全てだと思う


あやふやな拘りを全てを吹き飛ばす
瞬間を共有出来る絶対的存在が現れなければ

自分はこの人生に意味を見出すことが
出来ないんだろうなと感じる

単純な者は複雑さを笑い
複雑な者は単純な者を嘲笑う

大人になれば逆転現象が起こる
のは至極当然のことなのかもしれない

羽化する時期を耐え忍んだ者と
自己を消費して快楽を貪った者の

価値観や視点は違う種の生物くらい
違いが明確になっていると思う

ただ単純な者はそれが分からない

インターネットに蔓延る
思考を辞めた有象無象が掻き乱して
それが腐ったエンタメの産物となる

でも本人たちが関与しているという
自意識はそこにない

ガンダムで言うとこのザクであり
ポケモンで言うとこのポッポである

輝けない思想があるからこそ
普通の個は正当化され
異端はカリスマ化される

優生思想とかではなく
この割合こそが無意識的に
階級社会を作り出している

希望と思想が一致しない層は大変極まりない
世界を生きてるなと感じざるを得ない

自死を選ぶ方が少なからず存在
するのはこれが原因の1つであるからだと思う




今日、久し振りに熱が出た


謎に健康という自負があって
起きた時にあのなんとも言えない
倦怠感を久々に感じた瞬間
何故か高揚した

大人の知恵熱だと有難い

身体が疲弊すると頑張ったという
達成感を得られるのは日本人の性なのか
人間の性なのかは分からないけど

自分はこれからもずっと思考を続けていくし
永遠とロマンを求め続けたい

永遠に健康だと思っていた人が
実はそうではなかったり

そんなことは当たり前だけど
限られた時間の中で生きた証を残したい

上に立つ人間は
どいつもこいつも口を開けば
何かをすることに意味を探してくるけど

動機なんて自分の中で、
その瞬間瞬間の中で勝手に決まる事なんだから

信念とかそりゃ必要だとは思うけど
関門を用意する必要なんてあるのかなと思う

もっと直感とセンスに頼るべきだし
保守的な人間が多過ぎるように思う

刻一刻と過ぎていく時間の中で
発掘する場所と環境を用意するのが
リタイアした層の課題で

そのリタイアした教訓を学ばなかったからこそ
リタイアしたんだろうなと感じる


保守=思考を捨てると同義でしかないと思う


人間皆自分が一番大事で

結局は自分に利が来ることを不明確に信じ、
見えないものに幻想を抱く

だからこそ悩んで後悔して時には喜んで

過去に1度味わった何かあるかもを期待した先に
狂気とか死ぬ気のラインに運ばれるんだろうな


快楽と刺激は人間にとって悪魔的な材料で

どんなに繕ってる人間がいてもいても
これだけは本人の中に存在して

これらを上手く活かすも喰われるも
結局は本人次第でしかなくて

その思考を放棄することを辞めて
突き詰めた先に得られる結果があるんだなと


いずれは誰彼の判別がつかなくなって

次第にその時々の瞬間の感情と
思い出のみが混ざりあって

黄昏時のような記憶が形成される

明るさの奥にはいつだってしずかな響があって

羽化しては蛹化しての繰り返しで

深みが増したところで才人に
喩えられるかどうかなんて分からないけど

人はいずれも誰かから、何かから
必要とされていたいんだなって

無償の愛を注いでくれる存在を
いつ何時も求めているんだなと思った

競争社会の中で

他人の幸せを不幸に感じる自分がいる時は
そんなもの結局はただの嫉妬でしかなくて

傍観してる側から評価される側になりたければ

結局はそれ相応の何かが必要なんだと考える

改めて嫉妬は面白い感情であり、
滑稽な感情でもあり、
一番人間らしくて素敵な感情だなとも思う。


ただ世間は残酷で、そこを理解した上で
時には貪欲になるしかないんだろうな



綺麗なものだけを見て過ごしたい



雨の日はゆったり考える事が出来る