SENSUALISM

頭の中

この先の堕落論


戦後文学の金字塔
坂口安吾の「堕落論」「続堕落論」を読んで


皆さんは道徳とは何だと考えますか?

人を殺さないこと、悪を犯さないこと
決まった道筋を辿ること

親の言うこと、先生の言うことを
全うして幸福を感じて"貰う"こと


見えない何かを守って、自身が世の道から
外れずに安堵を感じることが道徳という
名ばかりの存在の意義であると自分は考える。


物事の規範というのは、神が定めた訳でもなく
過去を生きた人間たちが生態系を崩さない為に世間に蔓延させた風潮である。 と考える。


そこから紐解くと、本来は法というものもなく、
法が無ければ人殺しも、悪を犯しても
我が道を進んでも誰の言うことを聞かなくても


人間には罪の意識も何もかもが
働かなかったのかとも考える。


裏を返せば、


ルールという縛りがある以上、
人間は本来そういった生き物である。

ということになる。


同じクラスのあの人も、会社にいるあの人も
親友だって家族だって先生だって

はたまた自分自身だって

ルールがあるから、先人の教えがあるから
進化の過程でDNAに罪意識が刻まれているから
己の生活を全うしているのであって

地球は最早、人工物の集合体
なのではないかと思う。本当の個とは何かと。


ただ、規範から離脱する事もしばしばある。


己の環境を憎み世間を破壊したい衝動に
駆られて街中で大量殺人を企てる者や

最近で言うと電車や新幹線等の
人が集まる身動きの限られる場所での
無差別的犯行をする者

一生この人を愛すと決めた者の相手が
帰らぬ人となり、その者が未亡人になろうと
人はまた恋愛をするし

一方で不倫や浮気が日常茶飯事に
そこかしこで行われているように

罪の意識 をアブノーマルなものとして
背徳感を快感として味わう層も存在する

人によってはこの気持ちが分からなくもない者もいると思う。というよりは背徳感は本来の人間という種の姿を取り戻すヒントとなる感情なのだと自分は考える。




運命に従順な人間の姿は美しいものだ


坂口安吾は唱えている。


戦時中の人を、街を、
全てを破壊し繰り返す行為に
凝り固まった概念が崩れ去る瞬間を
美学として感じれる彼の思想に
自分は卒倒できる。

維持ほど退屈な物はなく、
平均的に得られる幸福は
裏を返せば不幸であり、
代わり映えのないこの日常に対しての不足感
は何かの理を破壊しなければ手に入ることはない。


考えることがなければ人は常に
気楽であり、気丈に振る舞う必要はなくなる



人は堕落する生き物である


どんな人間であれ、堕落は己に付き纏い
生きている限り一生を共にしていく

社会制度がある以上、規範から逃れる術は
無いに等しく、あるとすれば多くのものを喪いながら抗い続ける賭けに出るか死を選ぶかである

すぐそこにある幸せか
遠く彼方にある運命的な幸せ

しかしどちらも幸せである

ただ、坂口安吾の唱える人間としての
美しさを感じる幸福は後者であると感じる


人は堕ちゆく生き物である

宝くじで今世では使い切れない額を手にしても

完全に相手の不注意で人を轢いてしまっても

意図的に殺人を犯しても関係はない

人は本質より堕ちゆく生き物である

人間だから堕落するのであり
生きているから堕落するのである

現代人は自分を含め堕落した理由を
探しては悲観し社会のレールに乗ろうと
明日に希望を探して正当化する

そうではない

正しい堕落の仕方を覚えるのが
人としての美しさであり、抗いは不純である

しかし

今の社会の規範に乗ることが
現代人にとってのすぐそこにある幸せであり
今世の美学である 多数派が実験を握る



現代人に坂口安吾の美学は通じないと思う



= 人としての本質を生きることという本来の
美学は既に破壊されたものであり、この先、新たな概念が生まれる。 

こちら側の考えが凝り固まった考えだと
今後レッテルを貼られる。
というより時はもう既に遅しだと思う。


現代では何を持ってそのレッテルが貼られているかも分からない成功者、YouTuberの自己啓発本が飛ぶように売れる。

ただそこに人間としての本質が、
この世の理があると思いますか?

その層にはその層への書物が、
インプットするべき内容、容量、理解する知性
そして行動に移す詐欺紛いのビジネス。

不純な混ざりを生成する教材だと思う。


テレビから聞こえてくるまっさらな応援ソングは
反吐が出るくらい退屈でつまらない

反対にそれに涙をしてプレイリストに追加する層も居れば、批判したいが為にとかの理由も抜きにそれらを受け付けない層も居る。

二極化よりは2:8 の割合で侵攻が進み

いずれは現世の現状と同じように
全てが機械化、バーチャル化していき



人としての美学なんて
そんなもの無くなってしまうんだろうな



ただ、どの時代も主体は自分自身で
ある以上変わらないものがある


"堪え難きを堪え 忍び難きを忍び"


こんな美学は誰にだって破壊出来る


欲を出して風潮や規範に乗らず
我を出しまくればいい


正しく堕落していくことが
本書にも記されているように

それが一番難しいことであり
一生の課題であるんだろうな

現代では堕落論を理解し成せた人間から
死んでいくのではないかと感じました