SENSUALISM

頭の中

モラトリアム人間

 

 

身分不相応だった夢がいつの間にか

ゆっくりと馴染んできて現実味を帯びる

 

その感覚が停滞するのを感じる

 

目まぐるしい日々に突如落とされる休日には

普段とは果てしない程の温度差があって

自分が活動者であることに疑問を持ってしまう

 

真夏の白昼部屋にいると

社会から取り残された感覚に陥る

 

何も生まない夏は 
無限に続くやるせなさと
何かから取り残された虚しさが募る

 

暇とは一種の幸福でもあり毒でもある

思考を巡らせる時間は良くも悪くも気を滅ずる

 

幸せの質量が限界に達してしまったら

それ以上の幸福はどこに行くのだろうか

 

その先の幸せを感じられなくなってしまったら

人間は生きることに価値を見い出せなくなる気がする

 

 

もうすぐ本格的な夏が始まる
 
 
人はいつも不意に真夏に

投げ出されて 日陰を頼りに生きてる
 
 
自分は高校を卒業するまでの18年間、
田舎でしか夏を過ごしたことがなかった
 

駅のない町
無限に続く田んぼ道
道路に轢かれた蛙
垢抜けない田舎のギャルが居座るマクドナルド
 
郊外に無数にある変哲もない道路
何の代わり映えも無い
田舎の高校生活みたいな道が永遠に続く
 
微々たる青春と
退屈なのにキラキラしていた日々が

日常生活で不意に香る

塩素消毒した水の匂いでフラッシュバックする


過去とはいつだって美化されるものであり
無意識に色付けされてくものである
 

当時がどんなに退屈だったとしても

数年たった今、そこには手を伸ばしても

もう捉えられない程の価値がある


 
懐かしいという感情は時に苦しくなる
 
 
あの夏に染み付いた習慣や思想が
数年経っても異様なほど自分の枷になる

 

息詰まりの今の現状も

どうせ数年も経てば必須の期間だったと

未来の自分は絶対に言うんだろうなと思う

 

 

人と人との気持ちが完全に一致して
わかりあえるタイミングなんて
いくらでも逃すし、

そもそもそのタイミングなんて分からない

 

そんな日常のバグが良くも悪くも

多種多様の思い出を生み出す


確然たるものなんて世の中になにもないのに
人は常に確然たるなにか を求めている
 
ずっと終わらない人間関係 だったり
ずっと好きでいること だったり
 

そんなもの絶対にないのにね

 

約束とはいつも呪いである

 

一緒に暮らすことと一緒に生きることは

必ずしも同じでは無い 

 

青春の甘さも残酷さも 

大人になってから何かをきっかけに

不意に感じるあの瞬間のエモさを

反芻する為にあるのかなと思う

 


 
2016年 初めて東京で過ごした夏
 

虚ろな目の人がごった返した土曜の蒸し暑い渋谷
 
借金と人間関係で腐っていった人間や
死んだ目のコンカフェ嬢が
のさばっている気怠い夕方の新宿

 
蛙と蝉の夏の風物詩としての音

眩し過ぎる概念としてのきらきらした夏に殺られて
片隅で絶って逝った人間もきっと沢山いる
 
学生時代におちゃらけていたクラスメイトも
正しい死に方から逸れていく
 
夏は簡単に人を狂わす   別に死に正解はないか
 
傍目からは幸せそうに見えているものも
本人にとっては1番辛いことが何かは分からない
 
人はたった数年で
きらきらした青春や思い出を
反芻する立場に陥る

 

人生とは危うげだけどぎりぎりの

均衡を保っているような感覚の連続だと思ってる
 

実体のない妄想を幾重にも綺麗に積み上げた後に
訪れるのは現実に相応した現実しかない
 

自己啓発本読んだら自分の人生
劇的に変化するんじゃないかなとか
 
このまま学校サボって海行ったら
なにか変わるんじゃないかとか
 
考えてる時間だけはいつだって楽しい

 

博打に勝ったら理想を超えた現実も待ってるけどね

 

でもその味を知って、吸い尽くした蜜を

更に吸い続ける人間にはなりたくない

 

2023年の今 かつて目指したのレールの上にいる

 

夢を叶えた次の日には

その夢は既に過去のものになってしまうんだな

と思う経験がよくある 人間は傲慢な生き物だな

 

 

 

 
解散後や死後に価値の上がる人間になりたくない
 
いつだって見て欲しいのは今の自分で
 
今の自分は当たり前だけど今しかいなくて
 
自分の中にある、人から嘲笑われる要素や
言動すらも 自分が大切にしてる人には
全て愛して欲しい
 
見えてる部分だけを愛されても
それは真実ではないと思う 

 

 

今年の夏はどんな思い出が待ってるかな

 

博打に勝ちまくって大勝ちしたいなと思ってる

 

思ってる以上に芸能人生に時間はない

 

 

 

 

直近で海辺の街の夏を感じたい

 

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これは去年鎌倉高校駅前に行った時に撮った写真 

 

この日は一日全てが良い思い出だった

 

今年の夏もこんな日を過ごせますように

 

UNTITLED

 
 
 
今日という日は希望と絶望が中間色として
混ざって今として存在する
 
 
明るい未来とは
ある日急に差し込むものではなく
過去の無粋な日々を過ごした
自分の地続きの場所である
 
 
そもそも明るい未来とはなんだろうか
 
 
 
お金があって時間があって
かけがえの無い人間と共存している状態の事だろうか
 
 
 
明るい未来とは瞬間的なものであり
ただの希望的観測である
 
 
 
幸福的感情とは常に瞬間的なものである
 

人は欲求を満たす事で安心を得たいのに
そもそも欲求とは満たされないものであり
 

相反する2つの板挟み、つまりジレンマに陥る
 
 
欲求に器があったとして それが溢れた時に
感情が爆発する  そうすると器は壊れて
さらに強くなった器が出来る
 
 
以前満足出来たものに満足出来なくなり
人は貪欲になる 視野を自ら狭くし、中毒になる
 
 
犬はエサを与えられたら
その時間を待つ パブロフの犬になるように
 
 
瞬間的な幸福を感覚的にも永遠に変えたい場合
与える側の飼い主になればいいと思う
 

それの反復が人としての
白オーラも黒のオーラも
産み出す気がする
 
 
正義の反対は悪ではなく別の正義がある
 

階級社会は永遠になくならない
人とはそういう生き物である
 
 

 
自分にとっての価値観や正しさなんてものは
大多数の他人からすれば無価値なものでしかなく
 
 
その個人の境遇や親、幼少期から起因して
出来上がったそいつの倫理観なんてものは
笑える程当てにならない 
 
 
ただ、残念な事に
正しさの中にも等級はあって
 
 
時にはその低い等級に合わせなければいけない
場面が世の中には嫌なほど存在する
 
 
人は自分という個の価値を上げるために勉強をする
 
 
人という生き物は掘り下げていけば、誰しもが
絶対にどこかおかしい部分がある生き物である
 
 
平凡と非凡  マジョリティとマイノリティ
どちらも前者は刺激を受ける側の人間であり
後者は与える側の人間である  
 
 
恐らくこれらの分類は先天性のものとして
産まれる前に運命として決まっている 
 
 
人生はいくつかの事件を特別な他人と
共に経験していくと その普通はいつか特別に変わる
 
愛は執着に変わるし 約束は呪いに変わる
 
執着も呪いもそれをかけた当人にしか
解くことは出来ない やるせない命運である
 
人間とは、お互いが異質な他者であることを
理解した上で、共存していくために可能性を探る
 
 
自分という個は 無意識のうちに
この活動に飛び込んでみようと思った20歳まで
社会からは必要のない知識だけで生きてきた
 
 
その分標準装備の特殊な武器は多いけれど、
その反面、欠けてるものも多過ぎる
 
 
 
ただ、それが無意識にしてきたギャンブルであり
いつの間にか当たりを引いていた感覚が
今の自分の非日常である
 
 
 
 
 
今、次の日に望みがある日々を自分は過ごしている
 
 
未来に希望のある人生を過ごしている人間達に向けた
朝部屋に射し込む1日の始まりを報せる光に
絶望をしない日々を過ごせている
 
 
朝が来ることに絶望する人間は沢山居る
 
 
大人とは過去を水に流して
のうのうと生きている姿である
 
休息という行動が自堕落という自己解釈になり
自分の行動全てに自信を失い自滅する
自ら正を不に変えてしまう機能が
人には何故か備わっている
 
寧ろ、朝部屋に射し込む光に希望を
見い出せる人間の方が世の中には少ないと思う
 
人は知らぬ間に自分自身に支配され
自分自身に服従をしている 
 
自分の黒さに無自覚に平然と生きて
無自覚に他人を傷付ける 
それが息苦しい世の中だとも思わない人で溢れてる
 
 
自分は、いつの間にかその
きらきらな方の概念と同化出来た気がした
 
 
ずっと停滞していた感情も 行為に対しても
何もかもに義務感がなくなり
ずっと纏わりついていたもやが消えた気がしている
 
ワンルームの中で朝を迎え
その日暮らしの稚拙な思考とプライドを頼りに
一歩進んで二歩下がるを繰り返し
ワンルームの中で眠りにつく
 
そんな日々は数ヶ月前に終わった
 
 
 
ただ幸福は瞬間である
 
 
 
 
TVを付ければ他人の成功体験が常に流れ
YouTubeTikTokを開けば
他人が身を削って得た"何か"の動画が流れる
 
他人の輝きに精神を逆撫でされるかどうかで
精神の中で自分が死んでるか
死んでないかを認識できる
 
 
自分はまだまだ死んでないと思う
今はきっと不安定過ぎた土台が目に見える形で
形成されつつあって それが望みに繋がっている
 
 
現実はいつも見えているもの以下であり、
理想とかけ離れた虚しいものでもある。
 
 
自分はその価値を曲げる為にこれからも思考する
 
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2022


実家に帰る途中の電車が
果てしない程暇だから今ブログを書いてる

2021年の12月31日のこの時間も
帰省中の車内で全く同じ事をしていたなって
思い出した  最早ルーティンになりつつある



2022年は夢みたいな1年だった


作家の浅野いにお作品の名言のひとつに
「夢なんて手に入れたら、ただの現実だった」
って言葉があって

学生時代に浅野いにおを崇拝してひねくれてた自分は
結局そんなもんなんだなって自己陶酔してた


でも


ずっと渇望してた夢のスタートラインに
立てた今年、その現実は今でも夢みたいで


ふとした時に、
朝起きたらこの現実はやっぱり嘘で
何の変哲もない日常が待ってるんじゃないか とか

目を開けたら、今見えてる景色は全部虚構で
実はまだ学生時代の教室にいるんじゃないかとか

そんな馬鹿みたいなことを考えるくらい
自分にとっては夢のようなことで


そんな今日、
夢を目指し始めた2018年から2022年の1月までの
自分の生活と、日々の葛藤と、
いつだって邪魔をしてくる自尊心と

今未来が見えなくてもきっといつかは
どうにかなるという一縷の希望に頼って
1日1日を繋ぎ止めていたあの日々のことを思い出した

幸せは恒久的な物ではなく
瞬間的なものなんだって痛い程感じたあの頃

 一生を幸せでいれる人なんているのかな

 自分の過去のブログのアーカイブがそれを物語ってる

その日寝る度に何か進んだ実感を
手に入れられなければ言い表せない不安が襲って

手に入れられたかと思えば
理不尽な状況に
長い時間を掛けて積み上げたものを一晩で
崩されることも何回もあって

そのうち、自分がどこに向かって
進んでいるかが分からなくなった

朝からワンルームの天井見つめて
昼過ぎに家の近くの川沿いを意味もなく散歩して

文字通り本当にどこに向かって進んでたんだろう

ただ頭の先からつま先まで
自分の理想とする自分に染まりたかった

いくら悩んでも いくらカッコつけても
自分のセンスを過信しても無という結果が
付き纏う日々に嫌気が差して

明る過ぎる未来が予想出来る生活も
それはそれでつまらないなと思っていた

簡単に手に入る現実には縋りたくなかった

それが自分に言い聞かせられる唯一の自衛だったな





でも今年の2月、何も無かった道が一気に開けた



乾いた人生に生きる希望が出来たなんて言ったら
人は大袈裟だと笑う人もいるかもしれないけれど

ずっと欲しかったチャンスを手に入れた瞬間、

今までの良いこととか悪いこととか、

自分はこんなに凄いんだ   とか

なんか、そういうんじゃなくて
後悔のなく生きていこうと思った。

勝ちとか負けとか優とか劣じゃなくて
本当に大切な事って
自分に納得出来るかどうかなんだなと思ったよ

そしてそんな11月5日のデビュー日に
初めて人前で喋れなくなってしまった

ずっとずっと叶えたかったことで、
何かを成す度に
一生スタートラインに立ってる自分だけど

初めて本当の意味でスタートラインに立てた気がした


自分の夢の為なら、
どれだけ不可能で、たとえそれが
無意味なことであったとしても
自分のエゴは通して絶対に叶えたい


自分がこの先、
いったいどこに向かってるのか
分からなくなる時があるかもしれない。

でも、たとえそれがどんなに困難な道で 
未曾有の果てのまで続いていても
皆がいるなら自分はどこまでも進める気がするよ。

世の中はいつだって理不尽で平等ではないけれど、
少なくとも朝だけは平等に人に訪れる

そんな生活の中で、自分が存在する事で、
F1RST SENSEという場所がある事で
救われる人が1人でもいるとしたら
それだけで意義のあることなんだと思う。

ずっと応援してくれてありがとう。
2022年、自分と出会ってくれてありがとう。

毎年、年が移り変わるだけなのに
所信表明したくなるのは人間の性だね。


やりたいこと全部叶える2023年にするよ


デッドエクスプロージョンSEN



人は自分自身の黒歴史を辿って
成長する生き物である



世の大半の人間のセンスは
この時期の死にかけのセミ
同じくらい終わってると思う


HUNTER × HUNTERの連載が
実現に向かいつつある 2022年 夏

いつの間にか冨樫はTwitterを始めたし

チェンソーマンの第2部も連載が始まった

気付けば今年もあと137日で終わる


そんな夏の夜にあるツイートに目を付けた


冨樫先生のアカウントが作成された
初回の記念すべきツイート
何と脅威の 51.3万RT 150万いいね

最新の原稿ツイート
何と脅威の 1.3万RT 15.7万いいね


この比較はこの世の縮図である


騒いでた残りの数十万人はどこへ行ったんだろう


全員電子機器のない異世界
転送されていないと説明出来ない数字である 



ミーハーは流行りに対する焦燥感に
後ろから銃を突きつけられてるらしい

センスがいい物が何か分からないから
人が群がっている物がセンスがいい物になる


4℃がクリスマスの地雷ブランドと揶揄され始めたのも

オーディション番組に出演した時は
ちやほやされていたのに
即落ちして数ヵ月後には存在すら忘れられる人間も

芸能人の不倫報道やゴシップが出たら
それらを嬉々として楽しむ風潮も

全てこいつらが起因している

全てミーハーが生み出しミーハーが殺す
まじでチェンソーマンと一緒である


よくコアなバンドがバズりだした時に
YouTubeのコメント欄でこんなやり取りがある


昔からずっと好きだったから
TikTokとかで使われてるの嫌だな… 👍🏻18
(恐らくコアな方)
別にええやん  👍🏻156
(恐らくそのバンドのこれまでの背景も知らない奴)


いや、ええわけがないだろ。

なんでこんなセンスが骨の髄から腐りきってる
奴らの食い物にされないといけないんだって

どうせバンドの次の楽曲にはお前ら死ぬまで
見向きもしないくせに って思う

本当に好きだったらええやんとはならないし
心の広さと無知な事は別物だぞって
別にええやんニキの耳元で大声で叫んでやりたい

本気で人を愛した事がないんだなと思う

本気で1人を愛した事がないからお前は誰からも
中途半端に対応されるんだなと思う


学生時代とかにいた

結果を出したのは別の人間なのに
その周囲に我が物顔して群がる
お調子者のつまらない野球部と同類である

そんなダサい生き方で
本当にいいのかと問いただしたくなる

窓の外向いて空を一点見つめてる
陰気なイケメンと美少女の人生の方が
100億パーセントカッコイイのに

一人の人間を本気で愛せない人間が
特定の人から本気で愛されると思うなよと思う


中途半端って本当に厄介な事だよ

香水の瑛人を一躍時の人にしたくせに
過去の人にしたのも全部お前らだ

あの人はずっと自分がやりたい
音楽だけをずっとやってる 
恐らく本人はこんな事も気にしてないと思う

バズろうが一生バズらまいが構わないけど
旬かそうじゃないかを区別するのはいつだってお前らだ

輝いてるか輝いてないかを判断するのもお前らだ

かつて知っていた自分だけの
特別感や優越感が
遠くに行ってしまうあの感覚

ミーハーなんて
ただ"知ってる"だけのくせに
しゃしゃるなと思う 

優越感を実感する為に
大して興味の無かった他人を
使う癖を人類はそろそろ辞めるべきだと思う


最高に脆い付け焼き刃で
最高に脆い人間関係を構築する

悪口を言う人間に賛同するのは
同じ意見を持つ人間だけ

蚊帳の外でつまらない事で愚痴る人間って
リスク背負って夢を追ってる人間の
枷になることすら烏滸がましいんだよ


なんでこんな簡単な事が分からない
人がネット上には沢山居るんだろう


あくまでこれは客観的な意見である




永遠に面白いこと考えて顔も良くて
センスがエグい人が世間から見つからないのに

たった1回、肌けた服を着て
ピースしただけのJK JDのアカウントが
一夜にして数千フォロワーになる

もう目に入った耳に入った情報だけしか頭に入らない
煩悩の塊みたいな層が世の中には増え過ぎて

お前らに付いてるその目も耳も
お前らのものである必要なんて何一つもなくて

本能のまま生きているんだなと思う

自分が知らない有名人がタイムラインに現れたら
間髪入れずに 誰? とか己の愚かさを
露呈している事にすら気付いていないし

誰も聞いてないのに
少し高めのディナーを楽しんでる映像が
流れてきたら これだったらすき家の牛丼食うわw 
とかお前はターゲットですらないのに馬鹿だなとも思う


現実に居たら絶対煙たがられる存在のくせに
絶対に目の前で何も言えないくせに


かつてティーンエイジャー達に
恐れられていたヤンキー達は

ネット上のチー牛のチーくん達に
やりらふぃーという名の
小馬鹿にされる怪物へと姿を変えられたし


もう今の時代誰もこいつらに勝てないよ



でもめちゃくちゃ面白いこと考えたんだけど


もしSNSというこの隠れ蓑が消え去ったら
このどうしようも無い人達が
日常生活に放り出されると思うと
本当に面白いなと思う

やりらふぃーにはヤンキーという冠が返還され
弱肉強食の世界が戻ってくる 

安全な場所からイキったチーくん達は

情報開示請求よりおっかない報復を受ける

これジャンプで連載したらまじで面白いと思う


最後に

特定の対象を熱狂的に崇拝したり
愛した経験は多くの人間にあると思う

多くの人間が存在する場で
全体に公平性を実現するなんて
1000%出来ないと自分は断言出来る

こういう言葉って世の中で否定されがちだけど
そんな当たり前の事実をプロ意識とかいう
実態のない言葉で纏めない方がいいと思う

思考、語彙、審美眼、ユーモア、
ファッションセンス、客観性

これらが全て平凡な人間に
人は興味を持つだろうか 

意識的にも無意識にも他人の脳内に平凡との
差別化を刷り込ませることに成功しているだろうか

これは全人類の課題であり
死ぬほど面倒なことだと思う

でもそれを突き詰めた人はやっぱり強い

ミーハーっていう枠から飛び越えて
思考も何もかもをアップデートして

突き詰めたものを初めて個性と呼ぶ

ポケモンの100匹のポッポの群れの中に
ルギアが居たら絶対にそこに目が行くように

出る杭は打たれる世の中だけど
的が大きいから無条件に叩かれる世の中だけど

「弱肉強食のこの世界、挑戦したもん勝ちだな」


と、長々と文章を書いていて思いました。


理由作って逃げる人間はそこまでだよ


カリスマは神格化され
それがやがてカルトとなり
その一団がムーブメントを起こす

人が人に圧倒的な魅力を
感じる瞬間はカルトの力を借りた時である


秒速で過ぎていくこの人生で
自分は沢山のときめきと刺激を感じたい


でも世の中には

自分の幸せを追い求めて1億円という額を
献金しても息子という名の
世界的殺人犯を爆誕させる人もいるし

口座にとんでもない額振り込まれて
人生有頂天になったと思いきや
全国に素性晒される人もいるし


結果は間違えても
自分の気持ちが間違ってなければそれでいい


なんて言われたらそれ迄だけど


幸せの形なんて綺麗なものから
異形のものまであって
世の中分からない事ばかりだよね


自分は世間で話題の感動を誘発させる作品よりも
DVDショップの隅っこにある名も無きコアな監督の
自己満足作品で号泣したいし

そういう事を一生の記憶に残したい

皆が感動して涙を流す作品で
流す自分の涙は無価値な物だと錯覚したい

コアなものを余裕で理解出来るくらい
沢山刺激的な人生を送りたい

そんな感覚とか直感をこれからも
大切にしていきたいな


もうすぐ夢の刺激的な
人生が始まるからずっと高揚してる

寝る前にいつも思うけど
本当にこれは夢じゃないのかなって
まじでほっぺたつねったこともある

だからこそ心の底から自分がやりたいことは
これで合ってたんだって 使命だって思ってる

ここまで読んでくれる程の皆と
絶対に忘れられない日々を過ごしたい

皆も楽しんごTwitterくらいぶっ壊れて
さらけ出して生きると簡単に人生変わるかも


おわり



25



ついこの間は20だった


21でこの業界に飛び込んで非日常を沢山経験し
体験したくもない非日常も時には経験した

関わりも何もかもが分断され、考え纏められる
今のこの世に正解なんてなく

無理やり導き出した答えは
全て当人のエゴでしかないけれど


芯を通してやり切る覚悟のある使命を
見つけることと、そのチャンスを得るまで
3年掛かった。恵まれているし、運がいいと思う。



下積みは美談ではないし、己の怠慢である。
でもそこには人それぞれストーリーがあって
枠外の人間には誰にも触れられないようなかけがえの無い時間が存在する。言わば青春である。


数字を得ることが現代では正解かも知れないけれど
計算され尽くした答えの外には、誰もが予想出来ない場がある。この世に溢れた〇〇至上主義達には
経験出来ない時間がある。この時間を、思い出を増やす為に自分は今を生きているんだと思う。


野暮ったい歌詞のJPOPも、
脈絡のない人間の会話も、
それらをどう捉えるかで印象は変わる

他人がセンスありげにストーリーに載せる
マイナー楽曲は稀にセンスがいいし、
天才作家達の文学作品は積極的に読むべきだと思う

知識を得たことによって差別化せずに
そこの差異を知り楽しむことが頭の良さで
それをひけらかす輩は皆一様に敵を作る


結果、差異をストレスに変換せず
滑稽や愉快、それぞれの感情で遊ぶのが
世の中を上手く生きる秘訣だと思う。
24歳の自分はより弄れまくりの弄れ野郎になった。でも大分スッキリした気がする。


コロナ禍で空間の歪んだ2年、理由付けの2年。
色んなメディアや人が死んだ。過去の自分、無意識下でも本能的に必死に動いてたんだなと知ったのは皆が自分の言葉を摘んで言ってくれたからだった。


最高な人達にもそうでない人達にも出会った1年。
人間腹の底では何を考えてるかは分からないけど、心からの信頼や裏切られてもいい人達に出会えたのは初めてだったな。それくらいkärlekの皆が自分は好きだし支えられている。


結局人は主観で生きていて、人一人が紡ぐ文章なんて、思考なんて興味の無いものだと思う。


それでも自分の日々の活動や、言葉
夜の時間を楽しみに、生活の原動力にしてくれる
皆が決して少なくない人数が存在することに毎度新鮮に驚く。自分はエゴの塊だから言うけど、皆本当にセンスが良いと思う。だから自分はそんな皆を絶対にどんな形であれ幸せに、原動力に、各個人のセンスに直結する何かを生み出していきたい。



流行り廃りが流行りのインターネット。現代社会。
何者にも変え難い個人になれますように。



毎年5月2日という日はきっと誰よりも幸せだよ。
kärlekの皆が毎日を幸せに生きれますように。



SEN


雨の日の休日

2022年 4月3日 とあるカフェにて

目の前に座ってる男性
早慶大英語の過去問を解いている

左手側にタイマーを設置して
飲み物には一切口を触れずに集中している

ユニクロかGUで購入したような薄手のカーディガンの下に白Tを1枚着ていて、まさに合理性のある、
極力の無駄を省いたような雰囲気を纏っていた。

正に行動と風貌が合致している。

唯一の柄物であるクリアファイルに目が行った。

赤レンガの前に草木が生えているデザイン。
恐らく偏差値の高い高校に在学していた時に
修学旅行でイギリスとかに行った時の記念に
購入したものを大事に使っているのだと思う。

やはり、行動と風貌が合致している。
この人のことは1ミリも知らないけどきっと
早稲田にも慶應にも合格するんだと思う。




右の通路を挟んだテーブルには
海外ドラマ ゴシップガールに登場しそうな
品性方向のように見せ掛けた、
世間の普通と少し感覚のズレた
ブロンドヘアーの女性とその取り巻き
(とても風貌が似ている)がいる。

周りが静かに読書やPCを弄っている中、何度も立ち上がり家の中で話すようなテンションで会話を続けている。

正直、この空間にいる人間は(自分を含め)
この3人組が心底嫌いだと思う。
もし今投票でこの場の指定した人間を消せるとしたら
この3人に迷うことなく全票が入る。

それでもこの手の人達には無傷だと思う。

ネガティブ感情なんて私達には無縁なもの。
週末はパーティなんてことを、
ドラマの世界ではなく
本当に行っている雰囲気を纏っている。
ここの土地が所謂、富裕層の土地なだけに、
そういう人がいてもなにも不思議ではない。

きっと家は豪邸で、帰ったらお金持ちのパパと
大きいイヌでも待ってるんだと思う。というか絶対そう。




自分の隣に座っている
黄色のトレーナーを着ている女性。

大学生に見える。参考書を机の上に出して
筆記用具まで入念に準備しているけど
一向に開く様子はない。

iPhoneで画面を横にしてずっと動画を観ている。
恐らく永遠にこの後もYouTubeでアニメを観ているし、
わざわざ雨の日曜日の午前中にここに辿り着いたことで
自身の中の目的を達成し、満足したと思ってる(偏見)

膨大なドリンクのラインナップがある中で
流行りの飲み物(COLD)を頼んでいる時点で
それを物語っている気がする。
(普通勉強で長居するとしたらサイズの大きいHOTを
注文するものだと自分の中で決まりがある。)

席に着いてまだ10分くらいなのにもうドリンクを
飲み干してるし、空になった容器をずっと吸い続けている。 そして極めつけに、やっと開いたと思われたiPad
Netflixを開き作品を探し始めた。
ここまでくると本当に全ての行動が可愛く思えてくる。
目の前の難関大受験生が左の彼女を引き立たせる。


因みに、ここまでの全ては視界の端から
入ってくる情報であって、
決して目視している訳では無い
(当たり前)



他にも多種多様な人が居る

何の恥ずかしげも無く、
ごつい機械を狭いテーブルの上に
置いて黙々と作業する男性(30代)

異様に長い、いや、長過ぎるペンを持って
延々とノートに何かを書いている男性(20代)

終始カッコをつけてコーヒーを飲んでいる
お洒落で武装をしたフツメンの男性(40代)

2人席を確保し、恐らくこれから来るであろう
友達か彼氏を待つ女性(10代)

充電する機器がまるで周辺に見当たらないのに
貴重な充電席を執拗に確保する男性(アンドロイドかも)

他にも数十人いる。

1人で席に座っている人は誰しもが無感情
を貫き、黙々と何かを行っている。
(1人で騒いでたら当たり前に変だけど)

他人という線引きが見えない空間に無数に引かれていて
そこに踏み込める機会というのはそうそうないんだなと実感した。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院
習い事、アルバイト、家族、親戚、職場、国会、刑務所




最近、SNSを通して恋愛をする人が多いけど
それはもう至極当然の事だと思ってる。

今時、毎朝すれ違う意中の相手に
一目惚れしました なんて言える
度胸がある人なんているのかって思うし、
そんなことをしたら大抵変な人になる。

人にはそれぞれ、その人にあった畑があって
無作為に閉じ込められた空間でお互いを知って
仲良くしろ!なんてふざけた話だと思う。

自分が知らないことを怖いと思う人が沢山居るけど
先ず自分が無知であることを怖いと思った方がいい

己の感情のままに暴れ出すような
自ら教育から仰け反った馬鹿も世の中には沢山いるし

こういう人に対して馬鹿っていう言葉を平気で言える人本当に無理…っていう、人間社会の本質を理解しない
自分が1番かわいいような良い子も山ほど存在するし

この世には先人達のバイブルが沢山あるのに
エフェクトで皆一様したかのような顔の
有象無象が承認欲求満たしたいが為に流れてくる
数秒の動画に数時間費やすような搾取される人間もいるし

学があっても差別意識を持った人間もいる。

ただ、自分自身が努力したら見えてくる世界があって

その領域に達した人達がそうでない人に向けて
差別意識を持ってしまうのは当然の事だと自分は思う。

甘いお菓子も戦争するゲームも
食欲も性欲も承認欲求も全て人の思考を奪うツールで

それに抗う為に人は学ぶんだと思う

理解できる可能性がそこかしこに転がっているのに
男性の為にしか生きれない人間
女性の為にしか生きれない人間 沢山いる。

企業努力という名の、合法に見せ掛けた違法に近い搾取

人間心理に基づいた他人の思考をねじ曲げる方法

刺されるなら刺される覚悟で刺せ
殺られるなら殺られる覚悟で殺れ

人を罵倒するなら罵倒されると思ってしろ
その代わり何があろうがグダグダ言うな

これを念頭に置いて生活出来てる人が
どれ程存在するんだろう。

自由な場所に行く為には
知識とお金とハングリー精神が必要である

SNSで愚痴を呟きまくる人間
無知が故に理解出来る範疇外のことが怖い人間
根がネガティブなネガ人間

全員消えればいいと思う

ある一線を超えれば意味のないことだと分かる
分からないからずっとそのレール上にいる

でもそんな世界を見たくない、混じりたくも無い
その一心で一線を走っていた人間は
数年前、とあることをきっかけに
皆海外に行ってしまった。逃げてしまった。


日本人という国民性を諦めてしまったらしい。


それはそうだと思う。


狭い枠組みの中でも分かってしまうことがある

アンケートは100人から情報を得られれば
意味を成すと言われてるように

という有名な本があるように

それぞれ役割を持った人が明確に分かる

ただ規模感を上げていけば
それがいつの日か対処出来なくなるように

世の中のアーティストや作詞家、小説家、哲学者

常に思考を巡らせる人間は圧倒的に自死が多い

それは至極当然の事に思う。

何を救いに有限の人生を生きていくのかは
人それぞれだが、必要とされなくなったら終わりで

需要とか供給とか メリットとかデメリットとか

気持ち悪い言葉が沢山あるけれど

腐りきったことを理解した上で
何かに縋って生きていくしかないんだろうな

キリスト教ヒンドゥー教、仏教はその類で

死は死なないと経験出来ないから
生に縋る為にそれらが存在して

信じたいが為に絶対的な理由を付けなければいけない

新興宗教なんてその最たる例かな。

全てを運命的に受け入れるのが最終結論で
どんなに辛い事も嬉しい事も想像したくないことも

それを全て引っ括めて人生なんだとすると

本当に地球上の個体は何処から来たのか、
何の為に自我を持って何を持って生きているのか
本当に分からなくなってしまう

目の前の受験生も、楽天家なブロンド美女も
隣のThe 大学生も己の日常を全うしているだけで
自分で意味を見出してるのかな、凄いな。

ドンキの前とかにたむろう地方のヤンキーって
あいつら本当に人生楽しそうだよなって思う。

とある漫画の台詞で好きな部分がある。


この世でハッピーに生きるコツは
無知で馬鹿のまま生きる事

これは真理だと思う。というかこれが答えなんだって。

色々と合点がいく事が沢山あるな…。

でも、それでも馬鹿は関わってくるから
もう抗いようが無い。早くインターネットは
サブスク化するか実名制にするべきだよ。


狭い枠組みの中で潰され、消費される
全ての方々に幸がありますように。

核を持って、信念がある人間が
報われる世の中になりますように。


そんな自分は今日フィルムを現像して
動画を作っていました。かなり異質だったろうな…。
シュガードーナツにホイップクリームとチョコレートソースをめちゃめちゃにかけてもらった。最高。

本当は最後にこの1年をまとめた動画を載せようと思ったんだけど200MB以上は不可だったのでTwitterに載せます…苦労が……




2021


時の節目と自分の記憶として
過去を振り返ることにします✍🏻

1月 
元々活動していたDance & Vocal グループを
解散させて、"ソロ"というより自分として、実態のない芸能という世界に初めて向き合って挑戦してみようと始まった月。 

何かから解放された気がした年始。
何ヶ所かで引いた御籤が全て大吉だったのと、
今後の活動に纏わることが記してあったなーーって今振り返りながら、それに見合う結果を得られたのかなと今日2021年12月31日に実感している。

早く結果を掴みたい一心で
生き急いでしまった1月。

恵まれた運とそれに甘んじた当時の自分に、
急いで得た結果に着いてくるものは何も無いということを感じ得ることに少しの自信がついた。

家族でどこかの屋台で休んで話したことは
つい昨日のことに思える程時の流れを
早く感じる反面、今の自分を応援してくれる
大多数の皆とはまだ出会って1年も
経ってないのかと心からびっくりする。

2月
次の日の予定も決まり切らない日常。
家から1時間近く歩いた場所にある
モールの中のカフェに行って歌詞を書く毎日。

音楽プロデューサー改めKayさんから
送られてくるデモを聴いては胸を躍らせ、たったワンフレーズの音源を聴くだけで次の日の不安が全部払拭される。 
この頃は都内のとあるシアターでアルバイトをしていた。Ryomaとルームシェアとも呼べないルームシェアをしていたのもこの時。 家賃以外のお金は全て交通費とスタジオ代とスタバ代に消える。

シアターに行って、昼はずっと頭の中で色んな事を考えて、終わってからLINEを見てKayさんから楽曲の進行状況が来てるか来てないかで一喜一憂して、フレーズが来たら寝るまでずっと聞き返す日々。  何度も見た隅田川と荒川は2月のこの時期はまだまだ寒かった。
夜の首都高の入口に入っていく車の光と、それを反射する水面が本当に綺麗だった。 
でもこの頃はずっと悲しかったことを覚えてる。

電車を使わないで毎日往復2時間掛けて歩いてたあの頃はもう今年のこととは思えない程懐かしい。 何の責任も無く、人の言葉に囚われず、好きな音楽を聴いて沢山のことを思考していた2021年の2月を忘れることはきっとないんだろうな。

3月
楽曲の大元が完成した。
ずっと書いてた歌詞を元に、
初めて自分の思考を詰め込んだ楽曲が
完成した時のあの瞬間は本当に忘れられない。

こんな事があっていいのかと思った。
Kayさんは度を超えたお人好しで、楽曲代もミックスもマスタリング代も貰わない。プロの方なのに。 
Kayさんは去年ジモティーで出会った同い歳の作詞家の女の子の知り合いだった。 それだけの縁で2020年の12月の深夜。自分が電話を掛けソロとしての案を話したら1つ返事で了承してくれた。 自分はこの先の人生でも一生を感謝する存在になる。

思い返せばこの時程音楽のことを考えながら進んだ日々はなかった。 後に自分の中で明確化していた近未来系男女音楽ユニットを結成する為の布石を形成する日々。 この頃音楽を作っていたのはその一環だった。 そして3月、音楽を形として世に出す為にMVを作る事になった。
その為にこの月、自分は兼ねてより温くやっていたSNSに本気で取り掛かることになる。

YouTubeにその時の様子が載っている。
Kayさんがプロデュースしている子達のMV撮影の現場に連れて行ってもらったり、そこでカメラマンさんとのご縁があったり、とにかく右も左も分からないなりに動いた。

限られた予算の中でスタジオも探してカメラマンさんとも交渉して、そして撮影を迎えた。しかし
現実はそこまで甘くはなく、限られた○○という
範囲内では理想というものを実現出来ない。
撮影は後日延期となった。

TikTokを始めたのはこの月の終盤。
とある1つの投稿を機に、多くの人の目に初めて触れた。 通知が1分に1回来る一日を初めて過ごした。高揚したのを凄く覚えている。

4月
TikTokの効果で多くの人と出会った。
その中には、"今の自分"のことも深く応援して
くれる方々がいる。勿論、その時だけ縁が重なってた方も多く居る。

3月、TikTokというアプリの重要性とMV公開までの広告として毎日力を入れた。この頃は、自身の強みに少し気付き、とある層から興味を持って頂けることに対し、可能性を感じた。

インスタライブを始めたのもこの頃。
興味だけ持って貰えても、実際に話して自分の
活動が伝わらないと何も意味をなさない。
なんてこの時はその事が1割程しか念頭になく、
ただただ自分という存在を知ってくれた皆と話せる日々が楽しかった。その時の楽しかったという感情から始まり今に繋がった縁も沢山ある。
4月もまた、意味のある日々だった。

5月
正直、中弛みの5月だった。
惰性で続けたTikTokもあまり延びることはなく、MVの残りの素材を撮りに行ったのはいいものの前回の画質の違いと自分の変な完璧主義的な
部分が邪魔をし、裏側の公開となった。
そしてこの頃から、自分のプライベートな部分をもっと見せていかねばと割り切ったことを覚えている。

ライブ配信の数を増やし、見続けてくれる皆との関係性の深さを増していく期間だと考えた。
それは今振り返っていて、
確実に大切な期間だった事が分かる。

シアターもまだ続けていた。
この頃は特に自分を構築していく術もなく、
間違えては進んでを繰り返した日々。
行きの電車も帰りの電車も焦燥感で襲われていた。

この世の挑戦する誰しもに訪れる
何かを進めていくには必ず衝突する期間だった。
ただ、確実にそこを打破出来た理由は
当時応援してくれていて皆の存在だったな…。

6月
5月も引き続き楽曲を制作していた。
自分の武器として経歴を作っていた。

それが表に出ない中、
応援してくれてた皆は本当に人として
尊敬出来るし覚悟があるなとしか形容できない。

別視点から見て、自分で自分を見たら
本気でその人を見ていないと分からない事だらけだったし、所信表明ばかりの核がない人物だったと思う。 

人の心を掴む努力はするけど、
結局掴んでくれるのはその方々の努力であって、自分は根本的に間違っていたんだなと恥ずかしくなった。 この時の自分は、応援してくれる皆の日常を幸せに出来るだろうか、というよりもずっとずっと興味を惹くことばかりが表に出てしまっていたと思う。 こうして振り返って見ると反省することばかりだ…。

そんな6月、ついに昨年の12月から
構想していた男女ユニットの準備が始まった。

1月から6月までのこれまでの日々は
ユニットコンセプトの波長の合う女性を
スカウトする為の武装だった。

その当日くらいまでは、
応援してくれていた皆には秘密裏に
動いていたから驚かせてしまったと思う。
縁もあってすぐにとある方からDMを頂いて
いざ行動を進めたけど、やる気と勢いだけでは
何も生み出せないことを知った。
世の中の摂理も、運の作用も、何もかもが核を
持って行動をしないと何も意味を成さないことも知った。痛いくらいに身を持って知れた。

それと同時に、大学時代からずっと住んでいた
場所からの引越しも重なったりして、人間関係もお金も何もかもが入り乱れて1年間で1番最悪の月になった。 なんでこの時に自分は、何回もこれまでの活動の中で自認していたであろうグループ活動向きの人間でないことを理解出来なかったのだろう。
やりたいことに命=人生を賭けられないということはそれが世間で言う天職ではないことを表すと同義でしかないと思う。

自分がここで潰えなかったことは、
反対に自分自身を評価出来る素材となった。

7月
案の定、当初のユニット(Evil Eye)は発表前に
解体した。 Kayさんには大分前から見抜かれていたようで、「ちひろくんが急いだ結果だよ」と言われた。 
その頃に制作して頂いた楽曲は正に、当初の自分の理想を体現したような楽曲で、それを完成させられなかったことに対してやるせなさが募った。

発表しては倒れての繰り返しでもう何回も嫌になった。 インスタやTikTokというパッケージからの導入では、自分という実態が分からない以上、軽い言葉をかけられプライドが傷つき、信じて応援してくれていた皆に対しては信用を落とした気分になり、
とある夜もう駄目になってしまった日があった。

それでも支えてくれたのはずっと見続けてくれた皆の存在だった。 自分が一人一人に対して抱えきれないほどの感謝を本気で伝えたいと考え始めたのはこの頃からだったかな…。
自分と皆との関係性が変わり始めたのは
確実にこの辺りだった気がする。

その夜直ぐにユニットを再生し、立て直した。
信用と信頼の再建と早く結果を示したい為の
苦肉の策だった。元々あった計画書も全て変更し、コンセプトを練りまくった。

髪の色も黒髪から白金髪にし、
不変のものからの脱却を図った。

髪色を変えたことによって
久し振りにTikTokでバズり、
第2回目の大きな導入があったのはこの時だったな…。 人から見つかると無条件に希望を持てた。

そして以前住んでいた場所とは
全く環境が違う場所にも引越しした。

立て直しからのバズりも重なって出だしが好調に見えたが、ユニットという数人単位で動く組織の場合、たった1人の力だけじゃ何も産まないことを改めて知った。

この世界って何なんだろうな。

8月
この月、自分にとって今はもうなくてはならない場所であるCASが始まった。 自分にとって凄く
マッチする場所であり、この先の自分の活動の中でもずっと大切な場になる。

毎日夜22時から皆との大切な時間が始まった。
最初は探り探りで進めていた。 直近のCASとこの頃のCASを聴き比べると、最早、人が違うと思う。面白いくらいに。

その裏では毎日コンセプトを練り続ける日々、
極限の用意もなしに、成功以前に良いものにも成れない。 ただ1人の力ではずっと虚しい時間が流れた。 人間不信なんて言葉は自分の人生に似合わないけど感じざるを得ないことが続いた。
芸能活動とは、人に評価して貰う活動では、
心を捨てることが必須なのかと思った。

雑談CASの楽しさが次第に
雑談するだけの人に変わっていった。

8月は一瞬で過ぎていき、夏の風情を
楽しんだ感があまりないまま過ぎていったな…。


9月
初日からアーティスト写真の撮影があった。

素材を撮るというのは結果的に自分の可能性を増やす行為であり、このSNS社会と照らし合わせて必要な事だった。自分の活動を正当化できる日と報告が出来る日で凄く嬉しかったことを覚えてる。

その数日後レコーディングもあった。
活動が一気に進んでいく
実感があって凄く嬉しかったな。

ただ、それが世に出る事はなかった。
大体的に発表があった以上、
本当に人生で感じたことの無い感情になった。

存在しない利権や不明確な縁が
音楽をやることに対して怖さを募らせた。

好きな事を好きな様に出来る人は
この世に存在するのだろうか。
莫大なお金と上辺の関係が
あればビジネスとして成立するんだろうな。

自分はこの時期、泥の中をもがいて
進むようなバンドや人間が大好きになった。
反対にオーディション番組が大嫌いになった。
それに絡む人間も何もかもが嫌になってしまった。

これからも自分の性
として染み付いていくのかな。

10月
CASが板に付いてきた。
この場だけは絶対に守りたくて沢山沢山
考え始めたのはこの辺りからだったかな。

kärlek という素敵なファンダムが出来上がった。

自分はファンという言葉をあまり使いたくなくて、
勝手な印象だけど凄く身勝手な言葉だと感じてしまう。 自分は応援してくれる皆という呼称で皆と自分の関係を表している。

毎日平均4~5時間も延々と話していると
膨大な情報が皆に伝わるし、
反対に皆の情報も自分に伝わる。

不明確な好きという言葉を使う演者は
この世に沢山いると思う。これは真理かな。

自分は本当に皆を知りたくて、
人となりを知った上で伝えている。

距離が近いというのは本当に素敵な事だと思う。団体に投げかける言葉と個人を知った上でかける言葉は0と100くらい違う。

けれど、この頃から自分の我が出てきてしまった。
kärlek の皆に甘える部分が
沢山出てしまったのがこの辺りだと思う。

関係性が強くなった所で、
自分の活動を本気で進めなければと
使命感に駆られた。 

これまでの体裁なんて解いた。

この月の後半、
事務所に所属して自分という存在を
目に見えるものとして確立する為に
事務所巡りが始まる。


11月
この月は皆に報告することが沢山増えた。
自分を応援してくれることで皆が喜んでくれる日々に活動してることに対して実感が持てた。

事務所巡りも毎回素敵な返事を貰えて、
これまでの活動に意味があったのかなと思えた。

そして株式会社 BBEという素敵な事務所と
ご縁があり、無事所属する。

事務所を出た後にすぐ駅の中で
母親に連絡をして喜んでもらえた
あの瞬間はこの先も忘れないだろうな。

改めてここまで来れたのは
自分を近い距離で見続けてくれた
kärlek の存在でしかない。


12月
ついに事務所発表をすることができた。
皆沢山喜んでくれて、中には泣いて
喜んでくれる子までいて心から嬉しかった。

実際にホームページに掲載された瞬間を見て、
志茂田景樹さんの隣に載ってるだなんて
1年前の自分に想像出来ただろうか。
そもそも1年前はまだグループとして活動していると余裕で思っていたから人生何があるか分からないを身を持って体験出来たな…。

CASで皆と話せる色のある日々に
どれ程支えられてきたんだろう。

最後の方は走り書きになってしまったけれど、
ひたすらに目まぐるしく、
出会うべくして出会ってくれてた皆に
こういう形で伝えることが出来て
本当に嬉しいなと思う。


2022年

きっとこれまで以上に楽しいことも、
そして辛い事もあると思う。

1年前の自分には想像も
出来なかったことが起きた2021

今ではkärlekという素敵な皆がいる。

活動を見て貰えるなんて
どれ程素敵な事なんだろうと心から思う。


来年も楽しみで仕方が無い。



今年1年本当にありがとうございました!



素敵な2022を皆と過ごせますように。


2021/12/31 地元の夕暮れ