SENSUALISM

頭の中

征服欲と独占欲

アルゴリズムによって目にしたいもの
ばかりが自動的に画面に映し出される

インターネットポルノ
(ネットに蔓延る刺激的なコンテンツ)は
21世紀の誰でも手に入る麻薬であり、
思考の道筋を簡単な方へ、
考えなくていい方へ変えてしまう

電子機器を持つ者はそれらを
無限に摂取し放題である
つまり、多くの人類が何かの中毒に
染まる可能性を秘めている


自由恋愛がよしとされていない時代に
この"自由恋愛"という言葉が出来た

今では多くの人類にとって"それ"が
当たり前であり、誰に恋をし、
誰に思いを馳せようが自由である

外見だけで人を判断するルッキズムという
概念はSNSの登場で崩れつつあり、
未だにそれは色濃く残るが

今ではその人がどのような人か、
ある特定の場での影響力や支持が
重要視されている印象を持つ。

影響力がある者は無償の愛を
無条件に受け取ることが出来る

一瞬でも良く目に映れば
神格化したくなるのも常だと思う

反対にそうでない者は人に携帯されている
嫉妬や艶羨という感情に殺される

現代で、人はその人の持つ影響力に
恋をするのか、人としての魅力にハマるのか、

100万人から支持される人間が
別の世界線ではたった1人からも
支援されない人間だった場合

その人はそもそも世間から
見つかることもなければ
SNSから大衆にレコメンドされる訳でもなく、

愛情とは無縁の生活を歩む可能性だってある

改めて人は人に群がる野次馬性があり
輝くものの元に集まる習性があるのだと感じる

ミーハーが居なければこの世は成り立たず
経済も回らず、知らずのうちに
形成された偶像を崇拝することで
己の安寧を求めるのだと思う

オーディション番組が開催されれば
一時の熱狂で世間が騒ぎ

消えた人間が戻ってきたら
3日騒いですぐ存在を忘れたり

光るものと一瞬でも同質化出来れば
それでいいのだと思う

推しという概念は結局は
己の安寧の為に存在するものであり

それが多方面に存在する人間とは
自分自身の美学と人間性に合わない

これは否定ではなく自己の
安寧の為の綴りであり
最近の憂悶を晴らす為の打開の策である

この先、自分が影響力というものを持った時、
自分は根幹にあるこの考えを消さざるを
得ないのかどうかに恐怖を感じる

常に付き纏う不安と、その不安を払拭
する為の打開策として影響力を持った先に
幸せがあるかどうかも分からず

湿りのあるこの日常を潤す為の
人達との間に永遠なんてものが
あるのかも分からず、人生は改めて
とても難しいものだと感じる


人には人のポルノがあり、
構築されていた何かも
ふとした瞬間に崩れ去ることがある


自分自身の正しさを
伝えることによって愛を表現する人

暴力や束縛に頼り人との関係を繋ぐ人
そのアブノーマルさに高揚する人々

愛の形は人それぞれだが、
愛に本質があるとしたら

自己犠牲こそが愛であり、
自己を消費して虚無を感じる愛は
自分本位のオーガズムでしかないのだと思う

本当の意味で自分は
自分を見てくれている皆を愛せているか
どうかを考えた時に、妙に納得できたから

反対にそれだけ自分を見てくれいている
人も中にはいるんだなって考えることが出来た

お互いがそう思えたら、
それはどんなに素敵な関係なんだろうって
思うことが出来た。


今回のブログはフロムの名著をベースに
付き纏う悩みと「愛」について考えてみました。


才能の違い、感性の違い、
美の不均衡も、目に見えるものが違くても
無条件に博愛するのが愛であり、
それが幸福に生きる為の条件らしい。

ただ、自分はそれに納得のいくような
素直な感性は持ち合わせては
いないなと感じざるを得なかったな……

人には誰しも歪みがあり、
でも醜美のある歪みを持つ
人間は少ないと感じる


自分はそんな歪みのある人に魅力を感じる

だからこそ相対的にそんな魅力を感じ合える
人達にこの先も出会っていきたいなと思いました。



おわり。

この先の堕落論


戦後文学の金字塔
坂口安吾の「堕落論」「続堕落論」を読んで


皆さんは道徳とは何だと考えますか?

人を殺さないこと、悪を犯さないこと
決まった道筋を辿ること

親の言うこと、先生の言うことを
全うして幸福を感じて"貰う"こと


見えない何かを守って、自身が世の道から
外れずに安堵を感じることが道徳という
名ばかりの存在の意義であると自分は考える。


物事の規範というのは、神が定めた訳でもなく
過去を生きた人間たちが生態系を崩さない為に世間に蔓延させた風潮である。 と考える。


そこから紐解くと、本来は法というものもなく、
法が無ければ人殺しも、悪を犯しても
我が道を進んでも誰の言うことを聞かなくても


人間には罪の意識も何もかもが
働かなかったのかとも考える。


裏を返せば、


ルールという縛りがある以上、
人間は本来そういった生き物である。

ということになる。


同じクラスのあの人も、会社にいるあの人も
親友だって家族だって先生だって

はたまた自分自身だって

ルールがあるから、先人の教えがあるから
進化の過程でDNAに罪意識が刻まれているから
己の生活を全うしているのであって

地球は最早、人工物の集合体
なのではないかと思う。本当の個とは何かと。


ただ、規範から離脱する事もしばしばある。


己の環境を憎み世間を破壊したい衝動に
駆られて街中で大量殺人を企てる者や

最近で言うと電車や新幹線等の
人が集まる身動きの限られる場所での
無差別的犯行をする者

一生この人を愛すと決めた者の相手が
帰らぬ人となり、その者が未亡人になろうと
人はまた恋愛をするし

一方で不倫や浮気が日常茶飯事に
そこかしこで行われているように

罪の意識 をアブノーマルなものとして
背徳感を快感として味わう層も存在する

人によってはこの気持ちが分からなくもない者もいると思う。というよりは背徳感は本来の人間という種の姿を取り戻すヒントとなる感情なのだと自分は考える。




運命に従順な人間の姿は美しいものだ


坂口安吾は唱えている。


戦時中の人を、街を、
全てを破壊し繰り返す行為に
凝り固まった概念が崩れ去る瞬間を
美学として感じれる彼の思想に
自分は卒倒できる。

維持ほど退屈な物はなく、
平均的に得られる幸福は
裏を返せば不幸であり、
代わり映えのないこの日常に対しての不足感
は何かの理を破壊しなければ手に入ることはない。


考えることがなければ人は常に
気楽であり、気丈に振る舞う必要はなくなる



人は堕落する生き物である


どんな人間であれ、堕落は己に付き纏い
生きている限り一生を共にしていく

社会制度がある以上、規範から逃れる術は
無いに等しく、あるとすれば多くのものを喪いながら抗い続ける賭けに出るか死を選ぶかである

すぐそこにある幸せか
遠く彼方にある運命的な幸せ

しかしどちらも幸せである

ただ、坂口安吾の唱える人間としての
美しさを感じる幸福は後者であると感じる


人は堕ちゆく生き物である

宝くじで今世では使い切れない額を手にしても

完全に相手の不注意で人を轢いてしまっても

意図的に殺人を犯しても関係はない

人は本質より堕ちゆく生き物である

人間だから堕落するのであり
生きているから堕落するのである

現代人は自分を含め堕落した理由を
探しては悲観し社会のレールに乗ろうと
明日に希望を探して正当化する

そうではない

正しい堕落の仕方を覚えるのが
人としての美しさであり、抗いは不純である

しかし

今の社会の規範に乗ることが
現代人にとってのすぐそこにある幸せであり
今世の美学である 多数派が実験を握る



現代人に坂口安吾の美学は通じないと思う



= 人としての本質を生きることという本来の
美学は既に破壊されたものであり、この先、新たな概念が生まれる。 

こちら側の考えが凝り固まった考えだと
今後レッテルを貼られる。
というより時はもう既に遅しだと思う。


現代では何を持ってそのレッテルが貼られているかも分からない成功者、YouTuberの自己啓発本が飛ぶように売れる。

ただそこに人間としての本質が、
この世の理があると思いますか?

その層にはその層への書物が、
インプットするべき内容、容量、理解する知性
そして行動に移す詐欺紛いのビジネス。

不純な混ざりを生成する教材だと思う。


テレビから聞こえてくるまっさらな応援ソングは
反吐が出るくらい退屈でつまらない

反対にそれに涙をしてプレイリストに追加する層も居れば、批判したいが為にとかの理由も抜きにそれらを受け付けない層も居る。

二極化よりは2:8 の割合で侵攻が進み

いずれは現世の現状と同じように
全てが機械化、バーチャル化していき



人としての美学なんて
そんなもの無くなってしまうんだろうな



ただ、どの時代も主体は自分自身で
ある以上変わらないものがある


"堪え難きを堪え 忍び難きを忍び"


こんな美学は誰にだって破壊出来る


欲を出して風潮や規範に乗らず
我を出しまくればいい


正しく堕落していくことが
本書にも記されているように

それが一番難しいことであり
一生の課題であるんだろうな

現代では堕落論を理解し成せた人間から
死んでいくのではないかと感じました




色々と無月


昨晩から東京はずっと雨が降ってる

雨の日は朝から気分が心地よくて

あまり自分が外に出るタイプではないから

世間が退屈を持て余してる瞬間を
共有出来て競争社会がストップしてる感じが
好きなんだってことが分かった。
あくまでそう感じるだけなんだけど。

これは最近の発見。


最近、考える事が以前にも増したと思う


どうにかなるで過ごしている今日迄の日常


気付いたら遠くまで来てしまい、
もう戻れる場所も見えなくなってる


戻るつもりなんて毛頭もないけれど



人には体という資本があって
そこには魂が宿る 

例え、時に自分が見えなくなっても
存在を確かめる事が出来なくなっても

独自の思想と救いの対象があれば、
痛みと喜びを分かち合える実感があれば、
生に対して全うできる  きっと自己を保てる

世界には結局それしかないと感じる。


出逢いも別れも予め決まった期間と
その時々の個人間での瞬間の感情の
切り取りで成り立っていると考えている


瞬間の喜びは美しい様で残酷だと思う


万物が表裏一体のこの世の中で


そこに幸福が存在する一方
その他には絶望的状況も存在する

永遠が無い以上、
いつか消える思い出を反芻するのは
とても辛いことなのではないかと最近考える

温さが蔓延するこの世界で
本気よりも狂気に、 狂気よりも死ぬ気に
なった人間から勝ち抜けしていく
階級社会を脱出する唯一の手掛かり

これはどんな場でも共通のことだと思う

今の状況に満足してなかったら
もっと死ぬ気になるべきところを

でもそこまでして掴み取りたいものなのか
と聞かれると方法なんて微塵も分からず

無我夢中に分からないを繰り返して
思考していくことが所謂"狂気"の線引きで

まずはその領域に触れることを
意識の外で達成している実感がある

これらは怠惰と野望とポテンシャルが
共存している人間にこそ可能な
芸当なのではないかと思う

正解の決まった機械的道筋と
なるべくしてなったカリスマ的道筋

割合は9/1 くらいだろうけど

マジョリティがつまらないのなんて
この世の常で、この結果が全てだと思う


あやふやな拘りを全てを吹き飛ばす
瞬間を共有出来る絶対的存在が現れなければ

自分はこの人生に意味を見出すことが
出来ないんだろうなと感じる

単純な者は複雑さを笑い
複雑な者は単純な者を嘲笑う

大人になれば逆転現象が起こる
のは至極当然のことなのかもしれない

羽化する時期を耐え忍んだ者と
自己を消費して快楽を貪った者の

価値観や視点は違う種の生物くらい
違いが明確になっていると思う

ただ単純な者はそれが分からない

インターネットに蔓延る
思考を辞めた有象無象が掻き乱して
それが腐ったエンタメの産物となる

でも本人たちが関与しているという
自意識はそこにない

ガンダムで言うとこのザクであり
ポケモンで言うとこのポッポである

輝けない思想があるからこそ
普通の個は正当化され
異端はカリスマ化される

優生思想とかではなく
この割合こそが無意識的に
階級社会を作り出している

希望と思想が一致しない層は大変極まりない
世界を生きてるなと感じざるを得ない

自死を選ぶ方が少なからず存在
するのはこれが原因の1つであるからだと思う




今日、久し振りに熱が出た


謎に健康という自負があって
起きた時にあのなんとも言えない
倦怠感を久々に感じた瞬間
何故か高揚した

大人の知恵熱だと有難い

身体が疲弊すると頑張ったという
達成感を得られるのは日本人の性なのか
人間の性なのかは分からないけど

自分はこれからもずっと思考を続けていくし
永遠とロマンを求め続けたい

永遠に健康だと思っていた人が
実はそうではなかったり

そんなことは当たり前だけど
限られた時間の中で生きた証を残したい

上に立つ人間は
どいつもこいつも口を開けば
何かをすることに意味を探してくるけど

動機なんて自分の中で、
その瞬間瞬間の中で勝手に決まる事なんだから

信念とかそりゃ必要だとは思うけど
関門を用意する必要なんてあるのかなと思う

もっと直感とセンスに頼るべきだし
保守的な人間が多過ぎるように思う

刻一刻と過ぎていく時間の中で
発掘する場所と環境を用意するのが
リタイアした層の課題で

そのリタイアした教訓を学ばなかったからこそ
リタイアしたんだろうなと感じる


保守=思考を捨てると同義でしかないと思う


人間皆自分が一番大事で

結局は自分に利が来ることを不明確に信じ、
見えないものに幻想を抱く

だからこそ悩んで後悔して時には喜んで

過去に1度味わった何かあるかもを期待した先に
狂気とか死ぬ気のラインに運ばれるんだろうな


快楽と刺激は人間にとって悪魔的な材料で

どんなに繕ってる人間がいてもいても
これだけは本人の中に存在して

これらを上手く活かすも喰われるも
結局は本人次第でしかなくて

その思考を放棄することを辞めて
突き詰めた先に得られる結果があるんだなと


いずれは誰彼の判別がつかなくなって

次第にその時々の瞬間の感情と
思い出のみが混ざりあって

黄昏時のような記憶が形成される

明るさの奥にはいつだってしずかな響があって

羽化しては蛹化しての繰り返しで

深みが増したところで才人に
喩えられるかどうかなんて分からないけど

人はいずれも誰かから、何かから
必要とされていたいんだなって

無償の愛を注いでくれる存在を
いつ何時も求めているんだなと思った

競争社会の中で

他人の幸せを不幸に感じる自分がいる時は
そんなもの結局はただの嫉妬でしかなくて

傍観してる側から評価される側になりたければ

結局はそれ相応の何かが必要なんだと考える

改めて嫉妬は面白い感情であり、
滑稽な感情でもあり、
一番人間らしくて素敵な感情だなとも思う。


ただ世間は残酷で、そこを理解した上で
時には貪欲になるしかないんだろうな



綺麗なものだけを見て過ごしたい



雨の日はゆったり考える事が出来る


水始めて涸る


たった一つの存在を失っただけで
この世の全てを失った気分になる

人も物事もプライドも
美化されていた思い出も

その過程が素晴らしいんだって
自分に言い聞かせられる精神と
楽天家的思考さえあれば
大抵の事は乗り越えられる

自分は人からの愛情と
自身のプライドだけが
自分っていう自我を
保っていられると思っているから


これを本能的にも
理性的にも理解できない人間


言わば
幼少期からプライドを壊されている人間
愛情を知らないまま育った人間は

一体どうやってこの80-100年近い
退屈な日常を過ごすモチベーションを
維持できてるんだろうと思う。

いつかの黒子のバスケ事件の
渡邊博史が言うように


"無敵の人"  "生ける屍" が
この先沢山増え続けるのは目に見える


時代が進んで無限に広がる職業
それに合う自身の適正と
自分のやりたいことがイコールで
結ばれる人間は
たったの何パーセントなんだろう


人生は素晴らしいと感じることのできる
人間はたったの何パーセントなんだろう


ルックスも才能も全てが運で
でもこの時代に生まれたことには
何かしらの意味があって


1人でも欠けたら誰かの人生は
少しでも変わってて その歪みの繰り返しで
世界は成り立っている以上
人1人の存在には物凄く価値があって


その上で
自分なんて……って思う人間も
それを理解できない人間にとっての教材になる


コンテンツ化されつつある人
他人を消費しては遊んで捨てて
育成とかいうふざけたインターネット

皮肉だけどその作用の繰り返しで
人類は進化してるんだと思う

どこぞの機関が一体なんの目的に
しているのかは分からないけど


その道の知を知らない者は
その道の人になれなかった知識だけを
持った人に上手いように騙される

その道で大成した存在に自分を否定される

綺麗な環境で育った魚と
ごく普通の環境で育った魚
劣悪な環境で育った魚

そこに生息する魚を調べてみると分かる

この世の比喩表現は全部
その通りだと自分は思う


ここ最近本を要約する
YouTubeチャンネルばかり見ている

時間の無駄を省く
結論から先に話す
人をコントロールするには〜する
人から使われるな                     
とか

搾取する人間とされる人間が
存在するこの世界で上手に生き抜く方法としてその層から抗う為のバイブルが
先人の知恵を元に沢山出版されてる

なんでこんなの見てるんだろって
ふと急に思うことがある

誰が誰と繋がってるから凄いとか
誰と喋ったことがあるとか

自分じゃない他人を持ち上げて
自分を大きく見せて安心するのも人間だし

それに凄い 羨ましいと
感じてしまうのも人間である

人と人との関係に名前を付けて
それを羨ましがっても君の人生には
1パーセントも影響なんか無いのに
変な感情が携帯されているせいで
置いてけぼりを食らう

たまたま才能と運が
作用しなかっただけなのにね

だからこそ
博打を売った人間から
コンテンツとして消費されていく
一時の名声は手に入る


オーガズムを感じて一瞬で虚無になる


無敵の人が完成する


改めてこの世の比喩表現は全部一緒だと思う


世間は思ったよりも残酷で1度使い古された
コンテンツに再度熱が入ることはまずない

恋愛も一緒だと思う 
儚いから美しいとはまさにその通りだけど
自分はただそれを
正当化したい言葉のようにも思える

結局人類、自分自身を正当化してくれる
言葉や存在を求めているんだなって
日に日に感じるようになった。

どこかにカテゴライズされれば
同じ思考と感情を分かち合える人に出会えるし

一生かかってもどこの枠組みの中にも
入れない人間だって一定数いるし

いつまで経ってもそれを割り切れない
優しい人間は搾取されていくし


他人の不幸の上に成り立つ幸せ


本当に上手い具合に成り立っている
世の中だと思いませんか?


そんなシステムだからこそ

1%以外の関係は
全て上辺だと割り切っている

ただ、その1%から受けた愛には
それに報いるだけの
生き方をしなければいけない

これ迄関わった全ての
人間が自分って存在が死んだ時に
哀悼の意を表してくれはしないし

現実と向き合って
メリットとか良好な関係をとか考えずに

存在する意義だけでも実感して
無償の愛情を注げられる人達と出会って
それで幸せを手に入れられるとしたら

自分と出会ってくれた人は
とてもラッキーなんじゃないかと思う



自分で言うことじゃないけど



人の頭の中覗けたら
凄く面白いだろうな

毎回似たようなこと書いてる気がする……
久々の更新でした     Bye


長夏

最初に浮かんだ答えも
思考が複雑に絡んで
気付いた時には跡形も無くなってる

全てはいつしか見えなくなる
無くなった時に人は、物は価値を発揮する

知らない駅、知らない街
生産性のない歩道

知らないのに見慣れた
何処にでもある場所の上に立って
変化を望んでも何も無い

描いていた理想の上に立つと
こんなものかと拍子抜けする

誰かにとっては見慣れた光景で
誰かにとっては思い出の地で

どんなに叫んでも誰も見てはくれない

この世に存在する当たり前のルール  

治療の為に投薬される薬、 戦争のない国、
普段美味しく食べてるフグ
同じく キノコ類 や その他の毒物

これらは全て誰かの尊い命を犠牲に
今現在の誰かの生活が成り立っている

当たり前過ぎて大多数の人は
そんな事に興味ない

こんな皮肉なことあるんだなって思う 

一日中カーテンを締め切った部屋の中にいる
君は普段どんな事を考えて
どんな未来を期待しているんだろう

2020年時点で日本に引きこもりは
約87万人も存在するらしい

87万人 その空間から出て来れないらしい

あの夏に帰りたい  あの頃に帰りたい

皆それぞれ帰りたい何処かがあって

でもそれって何でなんだろう

その時の時間には帰れないから
その場所に想い出があっても
時間の経過で虚しくなるだけ

成長していくにつれて自分の中で
くだらないルールを定めて

教養があるだとかないだとか
違いが分かるだとかそうでないとか
そんな理由で上とか下とか作って

くだらない  全てがくだらない

最初からその世界さえ知らなければ
ファンタジーの範囲で留まるのに

思考を続けると疲労が凄い

大人になる為に1番必要なことは
無駄な感情は全て捨てることらしい

怒りという感情は負の感情以外
何も産むことのないもので

それをコントロールすることで
人として深みが生まれるって。

確かにアメリカとかのエリートビジネスマン
とかをNetflixとかで見てるとよく分かる。

全部引っ括めての今が自分なんだとしたら

自分はこの人生を頑張ろうと思える
ただ、文字通り思えるだけかもしれない

どうしてもこの人生を頑張れないと
思う人はどうしたらいいのだろう

生まれながらにして置かれた環境 
全てが平等でない家庭環境 
幼少期を取り巻く全て
性質 性格 壊れたまま育った人間

次第に全部消えていく  

学習塾に一生懸命通ってるあいつにも

ネットだけでは強いあいつにも

全てを諦めてるあいつにも

平々凡々に暮らすあいつにも

もうこの世の何もかもにロジックがあって

人間の思考回路に則って戦略とか考えて

箱を作ってその中で本能的に競わせて
比喩表現抜きにして蠱毒とまるっきり一緒で

そんな世界もう嫌になりませんか ?

頑張ってないと評価されない
目標がないと評価されない

多くの人の目に触れるには
理論詰めて考え尽くした結果より
突発的に起こる予想だにしない事象
しかないと思ってる 

ただ、そんな奇跡が起こるのは
ほんのひと握り、いや一摘みくらい

奇を衒って  繕っても いつかは全て剥がれる

箱のスケールを拡げて狭めてを繰り返し
感覚器官がバグっていってる気がする


今日帰り道に車で移動するタイプの
クレープ屋を見た これ買って帰って

誰か共有出来る人が居るだけで
人生は素晴らしいんだなって思いました 


思考を続けると見たくなかった世界や
奇跡が起こる以外にはもう抗えないこと

愛は地球を救うとかいう地獄を
知らなさそうなスローガンがよくあるけど

本当の意味で救ってくれるのって
結局は人からの愛情なんだなって思う

綺麗なものだけを見て
悩んで考えての繰り返しなんて
無機質な事って割り切った人から
1抜けしていって

この短いようで長い人生は
退屈凌ぎするには長すぎると思う

全力って言葉は性にあわないし
あまり好きではない言葉だけど

今人生が重なっている皆のことは
出来る限りの事を持って幸せにしたい


何か前もこういうブログ書いたなー……

もっと前にも書いた気がする

ずっと思考している事が一緒なのに
それを何度も自問自答している時点で
答えなんて本当の意味で無いものなんだろうな


この間 こったん(実家の飼い猫)の
兄弟が亡くなった

でもおばあちゃんの家に行ったら
その孫達が生まれてて

 一体この魂はどこから
来たんだろうなって思ったよ

人懐っこくて可愛かった 🐈

枠の外側



最近拘りが消えつつある


絶対にこれをやりたい
絶対にこれを食べたい とかそういうの類いの


抱えていた特有のプライドの高さが
消えてきたのか、 はたまた
考えることが面倒になってきたのか


何かを得ることは何かを捨てること
なんだなって当たり前のことが
本当の意味で理解できるようになった


これまで24年も掛かった 


最近、未来の数字ばかりを求め過ぎて
感性が死んでくのがよく分かる


バズるという言葉の重量のなさ
本気で理解されたいという矛盾


ただ これらはプラスの意味に捉えてる


そもそも感性ってなんだろう

美しいものを美しいと思えるか とか
審美眼があるか   とか

例えば 映画  桐島、部活やめるってよを見て

何も思わない人間

痛いほど多量の情報を受けとる人間

これだけで分かる  あー成程なって



人は承認欲求に飢え過ぎてると思う


ただ承認されたいだけだったら
TikTokとやらにでも生息すればいい話

コメント欄覗きに行けば分かる

本当に地獄がそこかしこにある

他人を蔑んで内輪で盛り上がって
自己肯定感MAXに満たせばいい話


間違った照合をして
弱い部分の傷の舐め合いをして
悪化してからでは全てが遅いけど


何処ぞの他人との
負の感情の分かち合いなんて


一体その人達の中に何が生まれるんだろう


好きな人や物以外の他を
何故人は評価したがるんだろう



疲れてる人が多すぎるように感じる



他人と出逢うことの意味について
この間の深夜少しだけ考えた


誰かのタイミングと自分のタイミング


長いようで短いようで長い人生の中で
それが期せずして重なっていただけの話


プロデューサーにもよく言われる


これまでちひろくんが活動の為に
動いてきた今のタイミング と 
僕のタイミングが 偶然の一致をしている


それだけの話


ただそれだけで協力してくれる
けいさんははっきり言って変わってる



意外と理由なんて呆気のないものかもしれない



大学1年の時に割と好きだった


確か3ヶ月位で興味なくなった


同じ人にハマり続けた経験が
最長で3年くらいしかない


この間ふと思い出して
インスタのアカウントを探して見たら


余裕で普通に生活してた


自分は自分に自分勝手だなって思った


あの人は今? みたいな番組あるけど

消えていった芸能人 とかを
過去の産物として取り上げたりするけど


平等にこの世界に時間が流れてる以上
毎時間毎分毎秒同じ世界線で暮らしてる訳で


普段生きてるこの日常は
誰かにとっては死ぬ程どうでもいい日常で

自分の日常は誰かにとって
価値のあるものだと自己暗示掛けて


記憶から消えたその人は自分の中では
この間思い出すまでの約4年間死んでた


記憶から消えたら=居ないのと同じだなって


でも


その人は自分と違う何処かで
同じ4年間という時を過ごしていて


この4年間の生活のどこかにドラマが
あって同じ時系列を生きていたんだなって
思ったら何だか自分が情けなくなって


自分はどれだけ自分主体で
物事を考えてるんだろって思った


何で人間ってそうなんだろって嫌になった


デジタルタトゥーを沢山遺して

当時の記憶に刷り込ませる 
ノスタルジックさを嫌という程感じさせる

全てが馬鹿馬鹿しく思える

あぁ 昔はあんな人居たな とか
あの人今何してんだろ とか

他人の生活なんて覗けるわけなくて

最初から知らなければ
感情を移入する必要さえもなくて

出逢いは成長だなんてよく言うけど

そもそも成長って何なんだろう


いつからかそれに固執するようになった


当初思い描いていた理想が現実を知って
堕ちていくようなあの感覚は

あの漫画の王道展開みたいな構図は
王道だからこそ日常に溢れていて

理想だけで生きていられる人なんて
居るなのかななんて思う

頭のネジ2、3本外した方が
人間案外、楽に生きられるかもよ



誰も知らないと思っていたものを
真面目に世界で自分だけが
知った気になれた10代前半の夏


もう二度と感じることの出来ない
衝撃の数々、 弄れた原因でもある芸術


青春は青春時代にしか味わえない


本物の青春と偽物の青春


誰しもに平等に訪れる時間の経過だけは
時として残酷に結果だけをそこに残す


ポカリのCM見てると
本気で画面割りたくなる


母が昔不意に聴かせてきた音楽
借りてきたCD  あの辺から
不要なプライドが発生した


不要なものから絶対必須な
ものに昇華させた現在の自分と
それを形成した過去の自分には感謝してる


ただ


その培った物が日々憔悴していく感じがする



理想を詰め込むと人との距離が遠ざかる



ないものねだりはもう疲れた 


何かを本気で手に入れたいんだったら
江國香織作品とか浅野いにおとか
押見修造作品全部読破して
理解できたら行動に移せばいい


忘れられないような思い出が
ひとつでも出来たらそれを反芻して


そしたらもう何が起きても大丈夫な気がする


この世界に生まれて 誰かの言いなりに過ごして


中毒者みたいに脳の思考回路を
溶かされたら 正常な判断が難しくなる


あーーーーーーーーーーーーーーー


夜の首都高を何も考えずに
ひたすら後部座席から眺めていたい

朝は嫌いだけど
そのまま朝方の海には行きたい

昼間って時間は溜め息が出る程退屈で

誰も居ない日中の歩道を歩く時間は
自由なようで何かから取り残されてる気がして

そんな自分はネジがまだ外れてないんだって

まだ正常だって   少し安心した気もする


でもそんなんで見れる景色は分かりきってる


万物の波をこの目で見たい
頭の中の形を現実に映し出したい


互いを理解し合える人なんて 
この先現れるかも分からないけど


少なくとも何かのタイミングで
重なっていた何処かの誰かとは


これから重なる何処かの誰かとは


いつか他生の縁として通り過ぎるのかな


人生ってそういうものなのかもしれない


憂き目に逢う感覚  悲しいね





読み過ぎてボロボロの自分のバイブル

大学から住んでたこの家ももう来月で終わり

新生活、 新しい自分、 新しい活動、

そろそろ人生が動き出しそうな気がする

気付けば2021年も折り返し  

illness



人が人として形を維持したまま
生きていくとするならば
そこには絶対に埋められない寂しさがある


それに由来する全てが
その何かを埋めようとする為の
空虚な行動でしかなくなってしまう


全てが繕いになってしまう


空腹だから食す
悲しいから泣く
疲れたから寝る


誰にでも可能な行動だと思う


一時の感情だけは満たされる行為


人から愛されたいという
半永久的に続く潜在的欲求は
誰にでも消化し得ることでは無い

死にたいから死ぬという
決断を出来た人間達は
埋められない寂しさに
覆われてしまったのかも知れない


多様性とか言う言葉の凡庸性
価値観の押し付けは他人にするなという
他人による価値観の押し付け

これら無責任な下種が逃げる為の造語

どんなに求め合っても
完全に人と人とが分かり合えない世界で

一体何を信じて生きていけばいいんだろう



世界平和を唱えたところで
世の全員が幸せになると本気で考える
思考はどのくらい存在するのだろうか


みんながみんな幸せになるなんて
この世に有色人種という言葉と差別感情
が人間に備わっている時点で有り得ない話



スケールを下げていけば分かる
他人の不幸の上に幸せは成り立つ


常に自分が半分で生きている感じがする
良いと悪いの境界の 良いに偏り 
悪いも少し見たい 中途半端な人間性


アンダーグラウンドで生きてきた奴は
本物という風潮。少年院育ちはカリスマ。


逸話なんて幾らでも創造できる


無駄に上を蔓延ってる奴らは
ここら辺を持ち上げるとことに毎日頑張ってる 


センスの無い他人を
蹴落とす為に必死で頑張ってる


センスの良い他人を使って
空っぽの自分を正当化しようとしてる


芸術が発生してから
何千年経ってるか分からない

人類誕生がそもそも芸術の始まりだとしたら
1人目が誕生してから今日までの間に
1082億人もの人が誕生したらしい

魂のサイクルの中で
新しい思考が誕生することなどあるのだろうか


この先オリジナルなんてものは存在しない


パロディもリスペクトも
全て都合のいい表現でしかない


有識者の評価が
それに募る好奇の目が
現世の絶対評価となる

美の基準は大衆の総評で決まる
醜の基準も大衆の総評で決まる

ハートフルな話に置き換えれば
醜が一晩で美にも変わる 


その逆は言わずもがな


現代はコントローラーが鬱陶しい程そこらにある



当たり前の様に過ぎていく日々は
もう既に決まっている未来へ繋がっている

今日の些細な行動が後の変革に繋がる

退屈な日常の濃度を非日常にする為に
予期せぬ出来事を沢山増やす他ない

突発的に日常を投げ捨てる
ことによって得ることができる非日常 

朝の電車の行先を決められた場所から
どっかの海に変えるだけで完成する

でもそんなことをする
人間は2%くらいしかいない

多くは築き上げてきた物を守りたいから
自身に纏わる関係性を壊したくないから


前言撤回、
やっぱりアングラ出身は強いのかも知れない。

ルールとか無関心、守る物が自分だけってそれ

ヒトを動物として捉えたら
本能に忠実で最強でしかない。


宗教とか、彼氏とか彼女とか、親友とか

人が何かに縋る理由は

有意義な生 ‪✌︎ と 期待の未来 ✌︎ 

ではなく

無意味な生 と 虚の未来 への恐怖

に対しての抗いなのかもね


この短い人生の中で

やるか やらないか
この2つしかない選択の中で

非日常を増やす為には
ひたすらに抗いまくればいい

センスの欠けらも無い奴らに壊された
通称エモいな思い出を沢山作ればいい


自分が自分である為に
内にある芯が曲がったとしても
折れさえしなければ何者かにはなれる






何者かには






大衆の総評でそれは決まると思う





2%には生きにくい世の中