SENSUALISM

頭の中

2021


時の節目と自分の記憶として
過去を振り返ることにします✍🏻

1月 
元々活動していたDance & Vocal グループを
解散させて、"ソロ"というより自分として、実態のない芸能という世界に初めて向き合って挑戦してみようと始まった月。 

何かから解放された気がした年始。
何ヶ所かで引いた御籤が全て大吉だったのと、
今後の活動に纏わることが記してあったなーーって今振り返りながら、それに見合う結果を得られたのかなと今日2021年12月31日に実感している。

早く結果を掴みたい一心で
生き急いでしまった1月。

恵まれた運とそれに甘んじた当時の自分に、
急いで得た結果に着いてくるものは何も無いということを感じ得ることに少しの自信がついた。

家族でどこかの屋台で休んで話したことは
つい昨日のことに思える程時の流れを
早く感じる反面、今の自分を応援してくれる
大多数の皆とはまだ出会って1年も
経ってないのかと心からびっくりする。

2月
次の日の予定も決まり切らない日常。
家から1時間近く歩いた場所にある
モールの中のカフェに行って歌詞を書く毎日。

音楽プロデューサー改めKayさんから
送られてくるデモを聴いては胸を躍らせ、たったワンフレーズの音源を聴くだけで次の日の不安が全部払拭される。 
この頃は都内のとあるシアターでアルバイトをしていた。Ryomaとルームシェアとも呼べないルームシェアをしていたのもこの時。 家賃以外のお金は全て交通費とスタジオ代とスタバ代に消える。

シアターに行って、昼はずっと頭の中で色んな事を考えて、終わってからLINEを見てKayさんから楽曲の進行状況が来てるか来てないかで一喜一憂して、フレーズが来たら寝るまでずっと聞き返す日々。  何度も見た隅田川と荒川は2月のこの時期はまだまだ寒かった。
夜の首都高の入口に入っていく車の光と、それを反射する水面が本当に綺麗だった。 
でもこの頃はずっと悲しかったことを覚えてる。

電車を使わないで毎日往復2時間掛けて歩いてたあの頃はもう今年のこととは思えない程懐かしい。 何の責任も無く、人の言葉に囚われず、好きな音楽を聴いて沢山のことを思考していた2021年の2月を忘れることはきっとないんだろうな。

3月
楽曲の大元が完成した。
ずっと書いてた歌詞を元に、
初めて自分の思考を詰め込んだ楽曲が
完成した時のあの瞬間は本当に忘れられない。

こんな事があっていいのかと思った。
Kayさんは度を超えたお人好しで、楽曲代もミックスもマスタリング代も貰わない。プロの方なのに。 
Kayさんは去年ジモティーで出会った同い歳の作詞家の女の子の知り合いだった。 それだけの縁で2020年の12月の深夜。自分が電話を掛けソロとしての案を話したら1つ返事で了承してくれた。 自分はこの先の人生でも一生を感謝する存在になる。

思い返せばこの時程音楽のことを考えながら進んだ日々はなかった。 後に自分の中で明確化していた近未来系男女音楽ユニットを結成する為の布石を形成する日々。 この頃音楽を作っていたのはその一環だった。 そして3月、音楽を形として世に出す為にMVを作る事になった。
その為にこの月、自分は兼ねてより温くやっていたSNSに本気で取り掛かることになる。

YouTubeにその時の様子が載っている。
Kayさんがプロデュースしている子達のMV撮影の現場に連れて行ってもらったり、そこでカメラマンさんとのご縁があったり、とにかく右も左も分からないなりに動いた。

限られた予算の中でスタジオも探してカメラマンさんとも交渉して、そして撮影を迎えた。しかし
現実はそこまで甘くはなく、限られた○○という
範囲内では理想というものを実現出来ない。
撮影は後日延期となった。

TikTokを始めたのはこの月の終盤。
とある1つの投稿を機に、多くの人の目に初めて触れた。 通知が1分に1回来る一日を初めて過ごした。高揚したのを凄く覚えている。

4月
TikTokの効果で多くの人と出会った。
その中には、"今の自分"のことも深く応援して
くれる方々がいる。勿論、その時だけ縁が重なってた方も多く居る。

3月、TikTokというアプリの重要性とMV公開までの広告として毎日力を入れた。この頃は、自身の強みに少し気付き、とある層から興味を持って頂けることに対し、可能性を感じた。

インスタライブを始めたのもこの頃。
興味だけ持って貰えても、実際に話して自分の
活動が伝わらないと何も意味をなさない。
なんてこの時はその事が1割程しか念頭になく、
ただただ自分という存在を知ってくれた皆と話せる日々が楽しかった。その時の楽しかったという感情から始まり今に繋がった縁も沢山ある。
4月もまた、意味のある日々だった。

5月
正直、中弛みの5月だった。
惰性で続けたTikTokもあまり延びることはなく、MVの残りの素材を撮りに行ったのはいいものの前回の画質の違いと自分の変な完璧主義的な
部分が邪魔をし、裏側の公開となった。
そしてこの頃から、自分のプライベートな部分をもっと見せていかねばと割り切ったことを覚えている。

ライブ配信の数を増やし、見続けてくれる皆との関係性の深さを増していく期間だと考えた。
それは今振り返っていて、
確実に大切な期間だった事が分かる。

シアターもまだ続けていた。
この頃は特に自分を構築していく術もなく、
間違えては進んでを繰り返した日々。
行きの電車も帰りの電車も焦燥感で襲われていた。

この世の挑戦する誰しもに訪れる
何かを進めていくには必ず衝突する期間だった。
ただ、確実にそこを打破出来た理由は
当時応援してくれていて皆の存在だったな…。

6月
5月も引き続き楽曲を制作していた。
自分の武器として経歴を作っていた。

それが表に出ない中、
応援してくれてた皆は本当に人として
尊敬出来るし覚悟があるなとしか形容できない。

別視点から見て、自分で自分を見たら
本気でその人を見ていないと分からない事だらけだったし、所信表明ばかりの核がない人物だったと思う。 

人の心を掴む努力はするけど、
結局掴んでくれるのはその方々の努力であって、自分は根本的に間違っていたんだなと恥ずかしくなった。 この時の自分は、応援してくれる皆の日常を幸せに出来るだろうか、というよりもずっとずっと興味を惹くことばかりが表に出てしまっていたと思う。 こうして振り返って見ると反省することばかりだ…。

そんな6月、ついに昨年の12月から
構想していた男女ユニットの準備が始まった。

1月から6月までのこれまでの日々は
ユニットコンセプトの波長の合う女性を
スカウトする為の武装だった。

その当日くらいまでは、
応援してくれていた皆には秘密裏に
動いていたから驚かせてしまったと思う。
縁もあってすぐにとある方からDMを頂いて
いざ行動を進めたけど、やる気と勢いだけでは
何も生み出せないことを知った。
世の中の摂理も、運の作用も、何もかもが核を
持って行動をしないと何も意味を成さないことも知った。痛いくらいに身を持って知れた。

それと同時に、大学時代からずっと住んでいた
場所からの引越しも重なったりして、人間関係もお金も何もかもが入り乱れて1年間で1番最悪の月になった。 なんでこの時に自分は、何回もこれまでの活動の中で自認していたであろうグループ活動向きの人間でないことを理解出来なかったのだろう。
やりたいことに命=人生を賭けられないということはそれが世間で言う天職ではないことを表すと同義でしかないと思う。

自分がここで潰えなかったことは、
反対に自分自身を評価出来る素材となった。

7月
案の定、当初のユニット(Evil Eye)は発表前に
解体した。 Kayさんには大分前から見抜かれていたようで、「ちひろくんが急いだ結果だよ」と言われた。 
その頃に制作して頂いた楽曲は正に、当初の自分の理想を体現したような楽曲で、それを完成させられなかったことに対してやるせなさが募った。

発表しては倒れての繰り返しでもう何回も嫌になった。 インスタやTikTokというパッケージからの導入では、自分という実態が分からない以上、軽い言葉をかけられプライドが傷つき、信じて応援してくれていた皆に対しては信用を落とした気分になり、
とある夜もう駄目になってしまった日があった。

それでも支えてくれたのはずっと見続けてくれた皆の存在だった。 自分が一人一人に対して抱えきれないほどの感謝を本気で伝えたいと考え始めたのはこの頃からだったかな…。
自分と皆との関係性が変わり始めたのは
確実にこの辺りだった気がする。

その夜直ぐにユニットを再生し、立て直した。
信用と信頼の再建と早く結果を示したい為の
苦肉の策だった。元々あった計画書も全て変更し、コンセプトを練りまくった。

髪の色も黒髪から白金髪にし、
不変のものからの脱却を図った。

髪色を変えたことによって
久し振りにTikTokでバズり、
第2回目の大きな導入があったのはこの時だったな…。 人から見つかると無条件に希望を持てた。

そして以前住んでいた場所とは
全く環境が違う場所にも引越しした。

立て直しからのバズりも重なって出だしが好調に見えたが、ユニットという数人単位で動く組織の場合、たった1人の力だけじゃ何も産まないことを改めて知った。

この世界って何なんだろうな。

8月
この月、自分にとって今はもうなくてはならない場所であるCASが始まった。 自分にとって凄く
マッチする場所であり、この先の自分の活動の中でもずっと大切な場になる。

毎日夜22時から皆との大切な時間が始まった。
最初は探り探りで進めていた。 直近のCASとこの頃のCASを聴き比べると、最早、人が違うと思う。面白いくらいに。

その裏では毎日コンセプトを練り続ける日々、
極限の用意もなしに、成功以前に良いものにも成れない。 ただ1人の力ではずっと虚しい時間が流れた。 人間不信なんて言葉は自分の人生に似合わないけど感じざるを得ないことが続いた。
芸能活動とは、人に評価して貰う活動では、
心を捨てることが必須なのかと思った。

雑談CASの楽しさが次第に
雑談するだけの人に変わっていった。

8月は一瞬で過ぎていき、夏の風情を
楽しんだ感があまりないまま過ぎていったな…。


9月
初日からアーティスト写真の撮影があった。

素材を撮るというのは結果的に自分の可能性を増やす行為であり、このSNS社会と照らし合わせて必要な事だった。自分の活動を正当化できる日と報告が出来る日で凄く嬉しかったことを覚えてる。

その数日後レコーディングもあった。
活動が一気に進んでいく
実感があって凄く嬉しかったな。

ただ、それが世に出る事はなかった。
大体的に発表があった以上、
本当に人生で感じたことの無い感情になった。

存在しない利権や不明確な縁が
音楽をやることに対して怖さを募らせた。

好きな事を好きな様に出来る人は
この世に存在するのだろうか。
莫大なお金と上辺の関係が
あればビジネスとして成立するんだろうな。

自分はこの時期、泥の中をもがいて
進むようなバンドや人間が大好きになった。
反対にオーディション番組が大嫌いになった。
それに絡む人間も何もかもが嫌になってしまった。

これからも自分の性
として染み付いていくのかな。

10月
CASが板に付いてきた。
この場だけは絶対に守りたくて沢山沢山
考え始めたのはこの辺りからだったかな。

kärlek という素敵なファンダムが出来上がった。

自分はファンという言葉をあまり使いたくなくて、
勝手な印象だけど凄く身勝手な言葉だと感じてしまう。 自分は応援してくれる皆という呼称で皆と自分の関係を表している。

毎日平均4~5時間も延々と話していると
膨大な情報が皆に伝わるし、
反対に皆の情報も自分に伝わる。

不明確な好きという言葉を使う演者は
この世に沢山いると思う。これは真理かな。

自分は本当に皆を知りたくて、
人となりを知った上で伝えている。

距離が近いというのは本当に素敵な事だと思う。団体に投げかける言葉と個人を知った上でかける言葉は0と100くらい違う。

けれど、この頃から自分の我が出てきてしまった。
kärlek の皆に甘える部分が
沢山出てしまったのがこの辺りだと思う。

関係性が強くなった所で、
自分の活動を本気で進めなければと
使命感に駆られた。 

これまでの体裁なんて解いた。

この月の後半、
事務所に所属して自分という存在を
目に見えるものとして確立する為に
事務所巡りが始まる。


11月
この月は皆に報告することが沢山増えた。
自分を応援してくれることで皆が喜んでくれる日々に活動してることに対して実感が持てた。

事務所巡りも毎回素敵な返事を貰えて、
これまでの活動に意味があったのかなと思えた。

そして株式会社 BBEという素敵な事務所と
ご縁があり、無事所属する。

事務所を出た後にすぐ駅の中で
母親に連絡をして喜んでもらえた
あの瞬間はこの先も忘れないだろうな。

改めてここまで来れたのは
自分を近い距離で見続けてくれた
kärlek の存在でしかない。


12月
ついに事務所発表をすることができた。
皆沢山喜んでくれて、中には泣いて
喜んでくれる子までいて心から嬉しかった。

実際にホームページに掲載された瞬間を見て、
志茂田景樹さんの隣に載ってるだなんて
1年前の自分に想像出来ただろうか。
そもそも1年前はまだグループとして活動していると余裕で思っていたから人生何があるか分からないを身を持って体験出来たな…。

CASで皆と話せる色のある日々に
どれ程支えられてきたんだろう。

最後の方は走り書きになってしまったけれど、
ひたすらに目まぐるしく、
出会うべくして出会ってくれてた皆に
こういう形で伝えることが出来て
本当に嬉しいなと思う。


2022年

きっとこれまで以上に楽しいことも、
そして辛い事もあると思う。

1年前の自分には想像も
出来なかったことが起きた2021

今ではkärlekという素敵な皆がいる。

活動を見て貰えるなんて
どれ程素敵な事なんだろうと心から思う。


来年も楽しみで仕方が無い。



今年1年本当にありがとうございました!



素敵な2022を皆と過ごせますように。


2021/12/31 地元の夕暮れ